見出し画像

意思による楽観のための読書日記

新説『古事記』『日本書紀』でわかった大和統一 家村和幸 **

記紀解釈は終戦後の占領政策で、皇紀2600年の歴史が奪われた結果歪められた、という主張。魏志倭人伝の記述との矛盾は、大陸側の都合がいいように日本列島の歴史を歪めて書いていると解釈。日本列島における歴史は、土器使用、工具や漆塗り製品は当時の世界最先端だった。水田稲作は紀元前4400年に始まっており、世界に冠たる先進文明だった、と考えている筆者。記紀記述は年代も含めて正確なもので、記紀記述を相互に補い合って解釈を進めれば、本来の正しい日本古代史を知ることが可能というのが本書。

記紀編纂を命じた天武天皇は、当時存在していた帝紀、旧辞が漢字以前の読めない文字で書かれていたので、それを漢字で書き直すことをチベット生まれの渡来人である稗田阿礼に命じた。当時の政府人材を集結して、諸豪族に伝わる物語や記録、朝廷や太宰府の記録、史記、漢書などの国外文献などを収集し、30年以上をかけて、最後は元明天皇に命じられた太安万侶が日本書紀を編纂する傍ら古事記を完成させた。太安万侶もユダヤ系渡来人で、さらに年月をかけて日本書紀を完成させた。記紀には同じ内容もあるが、一方には書かれていない内容や相反する内容も含まれる。本書では、古事記の草案で、稗田阿礼が書いたとされる文章にこそ真実があると考え、大陸や朝鮮半島に残る文献を含め、歴史上判明している事実から、記紀を相互補完し新たに解釈した真実の古代史を解き明かす。

内容としては、神武東征を弥生文明を東に進めたと解釈。欠史八代とされる最初の8代の歴史解釈を秦の始皇帝、燕の滅亡、徐福の歴史、武帝の使いの日本列島訪問などをつなぎ合わせて再構築。崇神を三輪政権とし、四道将軍派遣により北陸・東海・丹波・九州を平定したとする。垂仁時代に来日した天之日矛、景行時代にはヤマトタケルが後漢の属国を平定したとする。仲哀時代には九州で卑弥呼が倭国を統一していたと考え、その勢力を討伐したのが神功皇后だったと解釈。神功皇后は新羅、百済も討伐して大成果を上げたとする。その後神功皇后は息長帯姫天皇(神功皇后)となった。応神、仁徳の時代には堤、池の構築など土木工事を広めて耕作面積拡大による食料収穫量拡大に努めた。身内争いの反正から雄略までを記述しているが、倭の五王とされる倭王は吉備の勢力であり、それを滅ぼし日本を統一したのが雄略であった。本書内容は以上。

事実がわかっていない古代史の部分をどのように解釈できるかは、歴史家に与えられた裁量である。記紀も読み方と都合のいい解釈で、ここまで想像の翼を広げられるのかと感心する内容。自国の歴史をより良く解釈したい、という欲望と、残された史料の解釈をどのように組み合わせて組み立てるか、それを評価し判断するのは、読者であり、後世の歴史家である。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事