意思による楽観のための読書日記

多様性が重要なわけ

私たちが暮らす地球上の生物の歴史は数十億年程度と言われていますが、その間、大隕石激突による全球凍結などが発生、地球上生物の99%が死滅するような絶滅や発生を何度も経験してきたといわれています。こうした危機的状況を経て、現在地球上には1億種と推定される多様な動・植物が棲息しています。私たち人間生活は、それらの多様な生物が食物連鎖や資源連鎖、エネルギー連鎖などを行う中で、これらの資源や食料、材料を利用することにより成立しています。CO2削減を考える際にも、地球環境自体が多種多様な生物の複雑な関係により成立していることを忘れてはいけないと思います。全体が多様ということが重要であり、これが最近「生物多様性」が叫ばれている理由です。

海外を旅すると感じるのは、世界の国で日本ほど国中に森が広がり動物が多様で緑豊かな国は少ないということです。これは日本列島が北海道から琉球諸島まで4000の島々からなり南北3000kmにもわたり展開していること、風上である列島の西側に東シナ海と日本海が広がり、黒潮が暖かさを、季節風が列島全体に水分をもたらすためだと言われています。アメリカ大陸でいえば、亜熱帯型気候キューバから亜寒帯型気候ケベックまで、多様な自然環境が存在していることが影響しているのです。月尾嘉男さんによると、『日本は生物の種類が多様であるとともに、日本固有の生物が多数存在する地域である。哺乳類は188種類で22%が固有の種類、爬虫類は87種類で38%、両生類は61種類で74%という数字である。島国であるイギリスでは哺乳類は50種類、爬虫類8種類、両生類7種類で固有種はいずれも0%である。』多様な生物がいるからこそ極端な環境変化があった場合にも生き残る生物がいて、なんとか絶滅してしまうことを免れてきたことを考えると、日本列島での生物多様性維持は地球にとっても重要なのです。

西洋哲学と日本文化を対比して日本の自然環境が豊かに残っている理由について、月尾さんは次のように言っています。『自然を開発して人間が利用するという西欧の哲学ではなく、(日本では)自然と共生して利用するという価値意識を維持してきた。その結果、地域独自の自然環境を基盤にした多様な文化が存在していることも日本の社会の特徴である。』方言や芸能など地域文化の多様性維持が重要との指摘です。一方、日本の自然と人間の特性について着目していた西洋人、オギュスタン・ベルクというフランス人の風土学者は、その著書「風土の日本」の中で60-70年代に進んだ公害について次のように述べています。『一見すると分裂症的とも言える日本社会の自然に対する姿勢をどのように解釈すればいいのだろうか。一方では自然を賛美し、他方では荒廃させているという接し方なのである。西洋から吸収した技術文明と、深いところにある日本文化の両立し得ないことを知りながら、進んでいく力は進んでいくのだから認めてしまおうとする姿勢は、自然と自然的なるものについて日本独自の伝統的考え方から出てきたものである。―――(太平洋戦争後の)日本では、自然が支配階級に占有されている偏りをただすことが住民運動の歴史的役割だったのである。』フランスも自然豊かな農業国ですが、温暖な多雨気候により針葉樹と広葉樹が混在する日本の森林と、自然と村が一体化するような里山の成り立ちに驚きながら、ベルクはその環境が破壊されていくことに憤りを感じていたのです。(TV番組「鉄腕Dash」は里山のささやかなアピールをしていますね)19世紀までの日本では豊かな自然の中に人間生活を埋め込むことで「共生」がはかられてきました。19世紀末から20世紀にかけて日清日露戦争を経験し、中央政府の方針による文明開化、富国強兵、殖産興業がすすみました。敗戦後も工業化、経済発展至上主義を掲げ、生活レベル向上、国力増大に国を挙げて励んできた結果が、日本独特の「風土」の破壊であり、自然との「共生」の破壊だった、という指摘だと思います。

私たちはこうした自然の破壊について意識しているでしょうか。国立公園内であっても人工護岸工事がされる日本、コンクリート堤防を横目で見ながら海岸の砂浜に立って「自然の美しさ」を感じられるフランス人はいないだろう、というのがベルクの見方です。1972年の田中角栄による「日本列島改造論」は西洋文明取り込みによる高度成長の『白鳥の歌』だった、というのがベルクの指摘です。1975年には人工海岸の総延長が8369Km、日本の海岸の4分の一にも達していた、これはフランスの海岸線総延長距離よりも長いといいます。明治から太平洋戦争後にわたっての日本の中央政府による「自然破壊」に対抗したのは、公害問題の4大訴訟とも言える「富山、水俣、四日市、新潟」などの住民訴訟などを含めた住民運動であり、日本では1970年代に明治以降の自然破壊を抑止する方向に転じた、とベルクは評価しています。高度経済成長を最優先させる政策から、環境の重要性をバランスさせる、これも多様性の受容だと思います。現在のCO2排出量削減は環境保全と経済発展という多様性の受容を世界規模で進めていく、というより高次の運動だと考えられます。

「多様性を受容する」(“tolerate the diversity”や”diversity & inclusion”)と英語では表現される(今まで優位だったサイドの人たちが新たな多様性を寛大に受け止めるニュアンス)この問題、米国ではキング牧師をはじめとする公民権運動で50年ほど前に公式には撤廃された人種差別が、今でも根強く残るために、学校教育で繰り返し重要と語られる事柄です。50年程度では差別意識を一掃することは難しいのです。自己防衛と食料獲得のために集団化した人類が、定常的な食料不足から他のグループを排除することで、自らの食料を確保し生き抜いてきたのは、数百万年単位で「学習された知恵」です。自分とは異なる人間を排除することが生き残るために必要だった、と言えます。グループの人数が数十人から数百人に増えたのは農耕時代に移行してからと言われ、類人猿より大きい大脳の多くが仲間同士のコミュニケーションのために発達してきました。異質排除から多様性受容への移行は、長い人類の歴史から見れば始まったばかりだと言えます。

地理的配剤に人為的努力が加わって現代でも豊かな緑と自然を保つ日本。自然は開発し利用するもの、という西欧的人間中心の価値観ではなく、日本では、地方は独自の文化を残しながら、江戸の昔から自然との共生と経済発展を実現してきたという月尾さんの指摘。明治以降西洋文明を受け入れながら、「ふるさと」や「みやび」「さび」「あはれ」などの自然と文化への深い理解を持つ風土があり、昭和から平成にかけては自然保全に舵を切りかえてきたとベルクに評価される日本。こうした地理的環境と特性を持つ複眼的日本人なら、経済発展を損なわないCO2排出量25%削減でも世界をリードできると考えます。2009年12月の国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)では合意できなかった「ポスト京都」、今後COP16などの機会に日本が世界にリーダシップを示せるのか、注目したいと思います。


風土の日本―自然と文化の通態 (ちくま学芸文庫)
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