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意思による楽観のための読書日記

縄文の思想 瀬川拓郎 *****

縄文文化を知る方法として、アイヌや琉球に伝わる神話、考古学的資料に基づいて縄文思想を浮かびあがらせてみようという一冊。アイヌと記紀、風土記には共通するモチーフがある、それは海の神が山頂にいる女神に会いに行き帰ってくるというもの。農民が主に日常生活する平野を含まない海と山の二元的な世界観、非農耕民的な世界観を示す。この伝説では生者である海の神が死霊となった山の女神を訪ねる、他界への往還伝説で、洞窟と他界との結びつきを重視する縄文時代からの思想とも共通する。

アイヌと古代海民との間でも海と山を往還する神がいるという世界観が共有されている。往還する神を「まれびと」だとする折口信夫の説にも触れ、日本列島各地に伝わる修験者伝説との共通点も浮かび上がる。実際、まれびと伝説は海辺に多く残る。修験者には縄文文化が伝わるのではないか、という説は狩猟者と修験者道場の深い関係があることともつながる。縄文文化は海民、アイヌ、琉球、修験者、山の民に長く伝えられてきているという。

縄文文化は15000年前から先島諸島を除く琉球から北海道までの日本列島全体で展開されていた狩猟、採集、漁撈文化である。この文化を担ったのは現生人類の中でも古い遺伝子的形質特徴をもちアジア人の共通祖先とも考えられる縄文人だった。紀元前10世紀後半からは水稲耕作文化が伝わり、数百年をかけて北九州から東北地方まで広がっていく。これが弥生文化であるが、北海道と南島では弥生文化を受容していない。こうした中で考古学的遺跡や発掘遺物からは鉄器と稲作に象徴される弥生文化への置き換わりが見られるが、弥生時代になっても縄文文化の中にあった漁撈技術、山で生きる技術を残していった人々もいた。九州西海岸から南島にいた海民たちは漁撈を専業とし、入れ墨や抜歯という縄文文化を一部では現代にまで残している。沖縄本島の糸満、五島列島や対馬にはこうした海民が長く閉鎖的社会を形成して生き残り、「倭寇」と呼ばれた海賊行為を働いた人々も、こうした海民の一部だった可能性がある。

北海道に残ったアイヌは、農耕生活を受容せず、狩猟、漁撈を主とする生活を継続したが、弥生文化との商業的つながりをもっていた。アイヌは本州や九州の海民とは、北海道の離島や海辺を拠点とし、物々交換により、鉄器、日本海のヒスイによる勾玉、南の島の貝輪の流通を行っていた。北海道に残る洞窟壁画や離島に残る墓などにその交流痕跡が見られる。この海民は朝鮮半島から卜骨による卜占術をもたらした。海民によるオホーツク人や朝鮮半島南部の多島海の人々との交流もあった。これは縄文人による古代からの朝鮮半島、日本列島、サハリン、大陸沿海州とリンクしたグローバルな海民世界の一端を見せてくれる。

こうした海民を触媒とした共通する神話、伝説がある。それが海の神と山の女神の往還伝説であり、風土記にも海の神であるワニが川を上り山の女神に会いに行く神話として残っている。古事記の天之日矛伝説は朝鮮半島との共通性があり、女性が日光により妊娠し卵を生んで産まれた子供が始祖となるというもの。これは弥生人の神話が海民によりアイヌに伝えられたという神話である。アイヌに残る「イヨマンテ」は春に生まれた子熊を秋まで育てた上で食し、神とのつながりに感謝するというものだが、日本列島で縄文時代に行われたのはイノシシによる同様の祈りだった。北海道や伊豆諸島には生息しないイノシシをわざわざ本州から取り寄せて行われるイノシシ祭りが、縄文時代には北海道でも行われていた。それは縄文人の中では共通する神とのつながりを祝う祭りだった。

縄文文化の中には生を律する呪術能力と芸能性がある。律令国家と縄文人の共生の一端として、亀卜(キボク)という呪術により卜部として政府に仕えた海民がいた。また、古墳時代まで縄文人の形質的特徴をとどめた非農耕民であった南九州の隼人、古代大和国の山中で狩猟採集生活を続けた国栖(クズ)がいた。律令政府も彼らの呪術性と芸能性を受け入れ共生しようとしたことが伺える。その後の時代に現れる神人(ジニン)、萬歳、乞食者、傀儡子、箕づくり者という非定住者は、こうした縄文文化の担い手が故郷である海辺や山の中を離れて漂泊していった結果ではないかと推察できる。こうした縄文的文化の担い手たちの中には、商業的やり取りを嫌い、贈与への執着、分配による平等、強制力や政権圧力の排除、他者や土地とのゆるやかなつながり、中心性排除による合意形成、社会閉鎖性と外部への暴力的対応を共通項とする。日本列島にある現代文化の中にも多くの縄文的文化が息づいていることを感じられる。本書内容は以上。

現在にまで残されている考古学的遺構や記紀、風土記に残された神話から縄文文化の残り香を感じ取るという本書には大げさかもしれないが、感動すら感じる。弥生時代と縄文時代の間には大いなる文化の連続性と地理的分断があったということ。鉄器による稲作が人口増大をもたらす近代性を持っていたのに対し、狩猟と漁撈では効率性から太刀打ちできなかった縄文文化であるが、その思想は、中元お歳暮などの贈与文化、自給自足・田舎生活への憧れ、平等社会への夢などの形で現代社会にも残ることを感じてしまう。海民には自殺者はほとんどおらず、現代の自殺者数ランキングの少ない地方はすべて海辺だというのも興味ある話。縄文土器だけではない縄文文化と思想、もう少し深堀りしてみたい気がする。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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