坂本龍馬の姉乙女。坂本龍馬が母をなくした時、すでに長姉の千鶴、次姉のお栄は嫁ぎ、龍馬のすぐ上の姉である乙女が3歳年長でいた。5尺八寸30貫というから176センチ、110kgの巨漢女性である。坂本のお仁王様、と呼ばれたこの乙女、龍馬に剣術を叩き込み、本嫌いの龍馬に孝経の素読、小学、大学の講義もした。万事に気品を尊ぶ鷹揚な気質で、経済のごとき毫も顧みず、と評された乙女は龍馬に無欲を叩き込んだ、というのは司馬遼太郎。乙女は豪商才谷屋からおこした武家にして初めて身につけることができた「銭金にこだわらない」品格を龍馬に身につけさせたという。その竜馬に惚れたのがお龍、性格は乙女そっくり、というのが龍馬によるお龍評である。龍馬に惚れた女性には千葉道場の千葉佐那もいるがこちらも男勝り、龍馬は男勝りの女性が好きだった、つまり乙女が大好きだったのである。
大久保利通の妻満寿とゆう。利通28才の時に迎えた妻満寿(まず)、結婚後安政6年から明治2年までに二人の間には5人の男の子供が生まれている。その後ゆうとの間にさらに二人の男の子、満寿とのあいだに女の子、そしてゆうとの間にもう一人男の子、という子沢山である。しかしこの間、大久保利通は鹿児島から始まって京都、江戸、山口、欧米視察、佐賀、北京、東北と2-3ヶ月をおかず転々としているのである。よくぞこんなに多くの子供を設けられたと感心する。最後の男の子は明治11年に利通が暗殺された時に身ごもっていた子。満寿は同じ年利通の後を追うように亡くなった。
蛤御門の変に敗れた長州軍が逃げ場を失って品川弥五郎が井上馨の愛人だった芸者の君尾に助けられたがこれが縁で二人は相思相愛の仲になった。この君尾が作曲したと言われるのが、「宮さま、宮さま、お馬の前にひらひらするのはなんじゃいな、とことんやれ、、、」という日本最初の軍歌トコトンヤレ節。君尾が救ったのは人斬り半次郎と言われた中村半次郎(後の桐野利秋)や最初の恋人井上馨。近藤勇も君尾に惚れたという。しかし君尾は尊皇攘夷で倒幕の志士に心が惹かれていたので、「近藤様、天子様のために尽くして下さい、そうすれば私はあなたのものになります。」と、当時鬼と恐れられた新撰組局長に切り返し、尊皇の大義を問いかけたというから驚きだ。長州の桂小五郎を愛したのはこちらも芸者の幾松、山科の金持ちの身請け申し出を断って勤王の志士である小五郎の胸に飛び込んだ。幾松も蛤御門の変の直後も乞食に身をやつして京都の情勢情報を小五郎に届けたという。幕末の京娘は佐幕に辛く、勤王に甘いのだ。
会津藩の生き残り、女性たちには活躍した人が多い。新島襄の妻になった新島八重子、大山巌の妻になった大山捨松、焦土となった若松城下で敵味方なく負傷者を手当てした瓜生岩子、キリスト教布教で活躍した海老名リンなどがいる。薩摩藩の天璋院篤姫などの人生も波乱万丈である。
これで11人になっただろうか。
物語 幕末を生きた女101人 (新人物文庫)
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