意思による楽観のための読書日記

日本人の美意識 ドナルド・キーン ****

それは暗示、または余情であるという。平安中期の歌人藤原公任は歌の優秀さを示して、その最高は「ことばたへにしてあまりの心さへある也(詞の妙を尽くして、余情のあらわれる境地)」だとしている。その良い例としたあげられたのが次の歌。

ほのぼのと明石のうらの朝霧に 島がくれゆく舟をしぞ思う

公任は、この歌の言葉にはない含意をほのめかす力があると言い、舟に自分の愛人が乗っている、
などと解説すれば歌の効果は減少されると。主語が省かれていて曖昧なので良いというのだ。芭蕉の俳句

枯れ枝に 烏のとまりけり 秋の暮れ  

これを英訳したのが

On the withered bough
A crow has alighted:
Nightfall in autumn.

本当に一羽なのかどうか、この俳句では分からないし、1羽が一番その雰囲気を表しているかどうかは分からない、というのがキーンの解釈である。そもそも「秋の暮れ」は秋の日の夕暮れなのか、晩秋なのかも分からないという。日本語が曖昧なので様々な解釈ができることに良さを感じるとのだそうだ。

平安時代の文学では女性によって書かれたものが日本文学の良さを示しているというのもキーンの主張である。8ー13世紀の女性文学が隆盛を極めたあと、19世紀まで目立った活躍を見せた女性作家は見あたらないという。万葉集、古今集、源氏物語、蜻蛉日記などであり、土佐日記は紀貫之という男性が女性の振りをして書く、ということをしてまで和語を使って書きたかったのだという。キーンはどうやら源氏物語と蜻蛉日記を最高傑作と見なしているようだ。

日清戦争で日本の文化が世界に出て行ったとも指摘。江戸から明治で国は開かれたが、人々の心はまだ自信を持てず、世界から吸収することばかりに気を奪われていた。日清戦争は日本も文明国の仲間入りができるきっかけとなり、その結果文学やその他の芸能も花開いたのだ、と指摘。演劇、錦絵、文学が国内外に向かって広がり、逆にそれら日本の文化を初めて見る外国人からの評判となって帰ってきたという。その典型例が「川上音次郎」や「花子」一座であろうか。1900年の頃、川上一座は欧米を周り、喝采を得ていた。花子は日本では全くの無名、しかしアメリカのダンサーであるロイフラーに見いだされ、欧米で公演、貞奴に次ぐ日本の大女優として欧米で絶賛されたという。決して日本的美があったわけではなく、見る方から珍しい演し物と思われただけだとは思うが、それでも数年に渡ってパリ、ロンドン、ニューヨークで好評を博し、その後も1917年ころまで欧米で公演して回ったと言うから大したものである。ロダンは花子にぞっこんだったとも書いている。戦争で住む場所が亡くなってしまった花子に「一緒に住もう」とも申し出て、本当に同居し、花子の像も数点造られたという。花子は晩年、岐阜で静かに暮らしたと言うが、そのロダン作花子像は日本の当時の芸術家から何回も訪問を受けたという。

キーンほど、古き日本の心を理解し、文学を学び、日本の良さを感じた人間は少ないのではないかとしみじみ思う。存命中に一度でも話を聞いてみたい。
日本人の美意識 (中公文庫)

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