意思による楽観のための読書日記

異文化理解 青木保 **

他文明から独立した文明はあり得ない、世界を8つの文明とみなすサミュエル・P・ハンティントンは『文明の衝突』を著した。ハンティントンによれば、冷戦による東西の衝突が終わった現代は、西欧文明、中華文明、日本文明、イスラム文明、ヒンドゥー文明、東方正教会文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明の8つの文明が衝突する時代である。しかしいずれの文明もお互いに独立はせず、影響し合って発展してきた。

国際化時代に生きるわれわれとしては異文化を持つ他の国の人たちと如何にうまく付き合っていけるかが重要である。そのためには他言語の理解、歴史、文化、宗教理解が必要である。同じ仏教でも日本の仏教とタイの仏教では重みが違う。筆者は2年のタイ留学の期間を利用して、タイ仏教を体験するため僧となった。タイでは一生の内一度は僧を体験するというならわしがあり、徴兵制度のようなもの。決して義務ではないが多くの国民が実践しているという。タイでは役所でも一般企業でも僧になりたいと申請すると3ヶ月間の有給休暇を認めなくてはならない規程がある。僧になるとは完全出家を意味し、世俗から離れ修行をする。市民権、納税義務、選挙権もなくなる。言語はパーリ語、まずはこれを学ばなくてはならない。タイでは得度をして僧になり、還俗してはじめて一人前と見なされる。タイの国民は托鉢して回る僧侶に多くの食べ物を施す。僧侶は威張って施しを受ける、僧侶の地位は大変高く、国王であっても頭を下げる必要はないとされている。たとえば仏教と僧侶という一面を見ても大きな違いがあるという話。

異文化を理解するにあたり、一面を捉えてステレオタイプで理解したつもりになることは危険である。一人や二人の友人と付き合ったからと言ってその国を理解したことにはならない。ハンティントンが言うような文明同士の衝突は避けられないことなのかもしれない。しかし、日本では神道の上に仏教が重なり、神仏混淆が日本文化となったように、他国の文化を受け入れることは可能である。

文化コミュニケーションには3段階あると筆者は言う。1段階目は自然のレベル、本能的な人間の行動はどの文化でも同じ、生きるために食べる、危険は避ける、子供を育てる、死者を葬る、違いは自然環境である。2番目のレベルは社会的レベル、社会的習慣は右左ハンドルの違いや結婚式のしきたりなど、学ぶことで理解できるという範疇であると言います。3つめのレベルが象徴的レベル、社会特有の価値観、行動様式、信仰などである。象徴的レベルの現象はその文化圏内の人たちにとっては重要な意味を持っても圏外者にとっては無意味であることもあり、「神様仏様、お助けください、南無阿弥陀仏」などということは日本人以外には理解しがたいことです。

相互理解は難しいこそ理解することに価値がある、そういう時代に私たちは生きていると言うこと。

異文化理解 (岩波新書)
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