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意思による楽観のための読書日記

活動寫眞の女 浅田次郎 ****

三谷薫が清家忠昭に出会ったのは、その年にはまだ盛んだった東大の大学紛争を避けて京大文学部に入学してすぐのことだった。映画好きだった薫と忠昭はすぐに仲良くなった。清家は実家から通う医学部生、実家は長く続いた旧家で、父は由緒正しき血筋の末裔だという。薫は京大寮に入寮する予定だったが、京都についてすぐに下見に行ってこれはだめだと直感、学生部に紹介してもらい賄い付きの下宿宿に入ることになった。その下宿の向かいの部屋には京大文学部哲学科三回生の結城早苗が先に住んでいた。

清家には、昔から家に出入りしていて今は太秦で映画スタッフとして働く辻老人という知り合いがいた。辻老人は現在は古いフォルムの整理のため太秦の倉庫で働いているとのこと。映画エキストラとして学生を募集していると言うので二人して太秦に行くことになる。そこには偶然結城早苗も行っていた。エキストラの一員としてリハーサルをする間に、薫はいつの間にか大変な美人女優と口をきいた。それを見ていた清家が、彼女をどこかで見たことがあるという。昔のトーキー映画に出ていた女優ではないかと。

トーキーが出始めた頃に大部屋俳優の一人として存在したという、伏見夕霞という女優は大変な美人だった。出番に恵まれず、大部屋女優止まりだったと言うが、その女優が目の前に現れたので驚いた。そんな昔の女優が今も映画に出ているはずがないではないか。驚いて一人では帰れないと、早苗と薫は一緒に帰ることになり急接近、男女の仲になる。二人にとってはお互いに初めての異性だった。

その後、清家が家に帰ってこないと、清家の父親が薫の下宿に現れる。キャンパスの外ではいつも一緒に過ごすようになった薫と早苗は町で清家と伏見夕霞が一緒にいるところを目にする。伏見夕霞とは誰なのか、薫と早苗は辻老人に教えを請う。辻老人は伏見夕霞を知っていた。昔、マキノ省三監督に見いだされて映画に出始めるところ、マキノ省三が死んでしまい、声がかからなくなった。その後、若くして大監督の予感を皆が持っていた山中貞雄に見いだされたが、山中貞雄も召集され戦死。伏見夕霞は不運な女優だった。そして昭和13年ころだったか太秦の倉庫で縊死した、と辻老人は回顧する。

清家は幽霊と恋仲になったのか、と気をつけるよう説得しようとする薫と早苗。ある時二人で町で見つけた清家と夕霞の跡をつけた。二人がたどり着いたのは太秦のさらに山に入りかけた鬱蒼とした森の中にある一軒家。そこでは、映画のセリフを稽古する何人かの声が聞こえる。薫と早苗は、そのことを清家に伝えるが、清家は納得しようとしない。

薫と早苗が学生だったその頃は、映画がテレビに取って代わられるとき。太秦の撮影所でも倉庫の整理が進んでいた。薫が倉庫に辻老人を訪ねたとき、ディレクタチェアに腰掛けると、目の前に伏見夕霞が現れる。薫は監督を気取って伏見夕霞にセリフを喋らせる。彼女は満足したのかお礼を言ってその場からいなくなった。

清家に事情の説明をすると、なぜそんなことをしたんだ、と問い詰められた。目を覚ましたほうが良いと説得する薫。薫自身も東大への入学をもう一度チャレンジしてみようと考えをまとめる。そのことを早苗に伝える薫。薫、清家、早苗、その一年は夢を見たような不思議な一年だった。物語は以上。

セピア色した映画、無声映画を弁士が伝えるかのような一編の小説である。昭和のころの映画が好き、という読者なら嬉しくなって何度も読み返したくなるような一冊だと思う。昭和44年ころの京都の町も登場する。京大のキャンパスそばにある進々堂、吉田山の向こう側にあったという下宿、その目の前に見えた大文字、五山の送り火を見ようと待ち合わせする清水寺の千日詣り、最後の場面ででてくる真如堂、そして太秦とその近辺の帷子ノ辻、蚕ノ社、蓮のきれいな法金剛院。京都の桜、祇園祭、五山送り火、紅葉の寺、清水寺千日詣り、あの頃の京都の町には高島屋より高いビルがなくて、二条の駅からでも東山の山並みがきれいに見えた。読者のノスタルジーを掻き立てるような舞台仕立て、浅田次郎は上手いなあ、と思う。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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