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意思による楽観のための読書日記

歴史という教養 片山杜秀 ****

歴史を学ぶことは、リベラルアーツ、つまりすべての学問の基礎であり教養であるという。基本姿勢は論語で言う「温故知新」、読み下すと「ふるきをたずねて新しきを知ればもってしたるべし」。意味の解釈はいくつかある。朱子は「論語集注」で「師から学んだことを復習すれば、新しく学んで考えたことも前のことも、深く悟れるようになる」。伊藤仁斎は「復習することで、全く新しい斬新なことさえ思いつくことができる」と解釈する。荻生徂徠は「過去の出来事の由来を知ることで、新しく起きることにも対処できる」。いずれにしても、過去の歴史を正しく知って、由来を理解することで、新しく起きることに対処することができる、というのが温故知新で、歴史を学ぶ理由となる。

しかし、温故知新にも落とし穴や敵がいる。
「保守主義」、都合よく自分の既得権益を守りながら漸進主義ともいえる改善をすすめる輩がいるという。
「復古主義」、今は途絶えてしまった昔のやり方にも良さがあるので、現代にその良さを活かそう、という態度。「あの頃は良かった」という声を聞くことがあるが、それは蟻地獄であり「知新」の部分が欠けていて昔に戻ればそれで良いはずはない。
「ロマン主義」、懐かしく感じられる昔を懐かしみ、今の生き方に反映するというもの。ロマンには空想と夢想があるが現実性がない、という特徴がある。つまり決断しない、という問題に突き当たる。
「万能神の神話・啓蒙主義・ファシズム」これらの共通点は、作り出されたお話の主語は神であり、そのお話で人々を説得することでたどり着くのはファシズムだと。
「反復主義」、歴史は繰り返す、などと思ったらアウト。同じような出来事が起きたとしても、環境も順序も異なる時代の出来事が同じであるわけはない。反復主義の先にはニヒリズムが来る。こういうことはまた起きると思っていた、などという輩がいたら、じゃあなぜ防げなかったのかと問うべきである。
「理想主義」、ユートピアを描き、そこがゴールだから辿り着こう、と諭す。人類にとって最終到達点のような理想郷はあるのだろうか。マルクスが説いた「理想の共産主義」は果たして最終到達点だったのか、という答えはすでに全世界が知っている。現在における矛盾を見出すための手段としての現状否定なら議論の足しにはなるが、ユートピア以外を否定するなら、過去の思い出に浸るロマン主義や復古主義の「良き昔」が「良き未来」に変わっただけである。

温故知新の態度で歴史に学ぶうえで重要なことがある。
1.歴史の道は似たもの探し。相似形を見つけることで、そこに理由を考えるヒントが有る。
2.歴史小説は愛しても、それは作家が巧みに仕込んだ、読者自身の投影でしかない、ことを理解する。
3.「偉人」を主語にしない。歴史が一人の偉人によって動くことなどないからであり、多くの人々の象徴としての偉人である。また、「時と所を得る」ことで偉人になった人物が、異なる時代に偉人になれるとは言えない。つまり現代に信長が生まれてきても、天下統一は起きない、だろう。
4.歴史のものさしを変えてみると、見えるものが変わってくる。文明の到達を遅らせた鎖国政策でさえ、江戸文化繁栄に寄与し、幕末の危機感と明治維新以降の急激な文明開化につながった、のかもしれない。
5.歴史を語る、という場合には、客観性は難しく、必ず語り手の立場、思い、理想論が入ってくることを認識する。
6.歴史は炭鉱におけるカナリアである。

歴史観にはいくつかのパターンがある。右肩下がり史観、右肩上がり史観、盛者必衰史観、一番勢いのあるのは誰かを気にする史観、断絶点を起点にする史観。こうした歴史の特性を知った上で、学んだ歴史を現在と未来に投影し、温故知新を心がけることが、歴史を教養とする意味となる。本書内容は以上。

今起きている、毎日の出来事を咀嚼して意見を持つという場合に、温故知新を忘れない重要性があるということ。それをしない人の意見をどう評価するのか、これが本書のポイントとなりそうである。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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