意思による楽観のための読書日記

遠い太鼓 村上春樹 ***

村上春樹が37-40歳の三年間、1986年10月から1989年秋までイタリヤ、ギリシャ、イギリスなどに滞在していた時のエッセイ、日記である。その3年間に「ノルウェイの森」「ダンスダンスダンス」を書き上げ、TVピープルという短編集と何冊かの翻訳もしたという。ノルウェイの森はギリシャで書き始めシシリーに移り、ローマで完成させた。ダンスダンスダンスはローマで書き始めてロンドンで完成させた。「遠い太鼓」はトルコの古い唄「遠い太鼓に誘われて 私は長い旅に出た 古い外套に身を包み すべてをあとに残して」から取ったというが、異国の地で時々目にする新聞記事に日本やその他の世界での出来事(ブラックマンデー、天安門事件、宮崎勤、三浦和義、田中角栄など)を目にするたびに遠くで鳴っている太鼓のように聞こえていたのではないかとも推察する。

取り立ててこれ、という紹介すべきエピソードがなかなか思いつかないが、ギリシャではアテネよりも長い間スペッツェス島という小さな島に滞在していた。夏の観光シーズンではなく秋から冬にかけてのシーズンオフなので観光客はいないので店の殆どが閉店しているような田舎の島での借家生活である。夫婦での生活なので外食したり市場で仕入れてきた魚や野菜を家で料理したりと退屈はしていないが、サラリーマンでは考えられないような優雅で羨ましいような、小説を書く、という目的がなければ耐えられないような暮らしである。ギリシャ語しか話さない住民たちとのコミュニケーションのため片言のギリシャ語を学んでの日常生活は決して快適そうではないが、新たな発見も毎日ありそうでパートナーさえ了承するなら一度経験してみたいような気もする。

クレタ島に小旅行した時にジョギングする。その時に必ず現地住民に呼び止められたそうだ。「なんでお前は走っている?」と聞かれ、「好きだから」と答えると「体にわるいぞ、家で休んでいくか?」などと言われたというのだ。その頃のギリシャの島ではジョギングという行為そのものが存在せず、走っているのは泥棒かそれを追いかける警察官、というのは言いすぎかもしれないが、かなり珍しい存在だった。そういえば、日本でもジョギングは1970年代以降ではないだろうか。道を走っているのは東京五輪のアベベやメキシコ五輪の君原に触発されて走り出した若者か高校の陸上部員くらいで、大の大人が走っていると泥棒か警官だったのかもしれない。

スペッツェス島に嵐が来た時ほど、現地での情報収集の重要性を痛感したことはなかった。日本での天気予報や台風情報に類する情報を手にすることなく、近所の人づての噂をベースに「嵐がくるぞ」という情報を得た。その嵐が来た日はギリシャでの祝日「オヒ・デー(拒否の日)」ナチスドイツに対抗して第二次大戦に参戦した日の記念日だそうだ、店も役所もお休み。嵐は三日三晩続いたが、雨水はドアの隙間から侵入、そもそも外のデッキと室内の床がつながっている構造だったので、ドアと床の隙間にタオルなどを詰めて防ぐので精一杯だった。現地の人はとうしているのだと思うが、同じ目にあっていて、石積みの塀があちこちで崩れていて大変だったようだ。石積みの塀はそもそも積んだ石の間に漆喰のようなセメントを詰めた構造なのでちょっとした嵐が来れば同じような災難になると思うのだが、修復はその後のんびりと行われ同じ方法で復旧された。もっと良い擁壁にすれば良いのではと聞くと、これで今までもやってきたし、元通り直ったから問題ないじゃないかと逆に諭された。

ギリシャはトルコに占領されたりバルカン半島の戦いのとばっちりを受けたり、ドイツに攻め込まれたりと長い間の戦争を経験してきたので、人々の中に辛い戦争の記憶が刻み込まれている。その後のイタリヤでの生活の中でも、第二次大戦でドイツと戦って怪我したとか兄弟が死んだという話が出てくる。イタリヤは三国同盟で枢軸国側、ドイツと戦うってなに?と思うが、知らなかった歴史を調べると、1943年にシシリーに上陸した連合軍とムッソリーニ亡き後のイタリヤ政権は連合軍と手を組んでドイツ軍と戦ったのである。南から攻め上がる連合軍に対抗してドイツ軍はイタリア傀儡政権を北部に設立して頑強に抵抗、その最前線には連合軍とともにイタリア人の軍隊もいたのである。BSで放映している「イタリアの小さな村」という番組でもこの話はよく紹介されていて、どうしてイタリア人がドイツ軍と戦っていたのかと疑問に思っていた。

ローマでの借家とアパート暮らしは不便との戦いである。ローマ市内には車を止めておくスペースがない、車の駐車は「困難と至難の業の間くらい」難しい。それでも市内には公共交通機関が地下鉄は二路線しかなくスリが多い、バスはときどき道を間違うし停車ボタンを押しているのに止まらないことがあるし時間どおりになんか来やしない、タクシーなんかつかまらないので車が必須。狭いスペースに車を縦列駐車するローマ人の妙技を見ているだけでも面白いという。大体ローマ市内では小さな車が便利なので車長が3-4mのチンクチェントとかウーノなんていうのが売れる。村上は一念発起してランチアを手に入れるが、これが長距離ょドライブでは大変なトラブルを引き起こしてくれたりする。とにかくとんでもなく不便な国ではあるが憎めない国がイタリア。

日本に帰ってくるとバブルからバブルが崩壊していくフェーズに差し掛かる。低体温の国から微熱から高熱でいつも躁状態で苦しんでいる国に来たようである。しかし車のステレオは盗まれないしレストランのテーブルに置き忘れた財布はまるまる無事に戻ってくる東京は安心安全な心だと痛感する。それなのになぜかイタリアやギリシャが懐かしく、またいってもいいかなとおもう。

このエッセイも売れたのかなと思うと、小説でベストセラー、エッセイでも稼いで海外生活も経験、一粒で三度も美味しいお話である。羨ましいやら自分でやるのは無理だなと思うやらで、まあ村上春樹の話だからと納得するしかない。

遠い太鼓 (講談社文庫)


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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