意思による楽観のための読書日記

ザビエルの見た日本 ピーター・ミルワード ***

1549年に日本にきてキリスト教の布教活動をした最初の西洋人、と習った。ザビエルはイエズス会や友人たちに手紙を書いている、それを紹介しているのが第一部。著者がザビエルの手紙などをもとに解説、それが第二部。

インドでキリスト教の布教をしていたザビエルは、ポルトガルへ帰る商人から日本という国のことを耳にした。アンジロウという日本人が、日本でもキリスト教に改宗する機が熟していると語った。ザビエルは、日本に向かう決心をする。

以下、ザビエルの手紙。「その国は日本と呼ばれていて、イエス・キリストの教えを広める上でインドより発展しそうなところだそうです。なぜかというと、日本人はどの国民より知識に飢えているからです。」「他の日本人がアンジロウと同様に知識に飢えているとすれば、日本人はほかのどの国民にもまして優れています。」「日本人に会ったことのある人びとがそろって同意するのは、彼らが並々ならぬ知識欲を持っている国民だということです。私は経験によって日本人に何を学ぶことが出来るかをいずれお話ししましょう。」

「まず第一に、この国の人々は、私の知る過去のいかなる国の人々より優れていることです。彼らは親しみやすく、善良で、悪意がありません。他の何ものよりも"名誉"を重んじます。大部分の人々は貧しいのですが、武士も庶民も、貧しいことを不名誉とは思っていません。」「この国は土地が肥えていないので、豊かな暮らしはできません。しかし、家畜
を殺したり、食べたりせず、時々魚を食べ、少量の米と麦を食べています。彼らが食べる野菜は豊富で、幾種類かの果物もあります。」

「この地の人々は不思議なほど健康で、老人も沢山います。たとえ満足ではないとしても、自然のままに、わずかな食物でも生きていけるということが、日本人の生活を見ていると、よく分かります。」

また次のような記述もありますが、僧侶が自堕落な生活を送っているとの記述もあります。「日本にはボンズ(坊さん)が大勢いて、彼らはその土地の人達から、大変尊敬されています。彼らボンズは、厳しい禁欲生活をし、決して肉や魚を食べず、野菜と米だけを食べ、一日一度の食事はきわめて規律正しく、酒は飲みません。」

1551年、二年間の滞在を経てザビエルは日本を去り、思い出を語る。
「日本人はどの国民より何事でも道理に従おうとします。日本人はいつも相手の話に聞き耳を立て、しつこいほど質問するので、私たちと論じ合うときも、仲間同士で語り合うときも、話は全くきりがありません。彼らは地球が円いことを知らず、また、太陽と星の動きについても何も知りませんでした。ですから彼らが私たちに質問し、私たちが彗星や雨の原因について説明すると、彼らは私たちの話に夢中になって楽しそうに聞き入り、私たちをたいへん偉い学者だと思って心から尊敬しました。私たちはすぐれた知識を持っていると思われたために、彼らの心に教えの種をまく道を開くことが出来ました。」

翻って現代の日本、キリスト教は全国にあるが韓国のような拡大はない。同じような儒教的価値観を持っていると思えるのになぜだろうかと思う。ザビエルが苦労したのは、『「亡くなった子供や両親、親類などが悲しい運命に合い、永遠に不幸になった彼らを地獄から救うことはできないのか」という問いに、「その道も希望もない」と答えなければならないとき、日本人たちの悲しみは信じられないほど大きいのです。』というくだりである。祖先を敬いたい日本人にこの考え方は受け入れがたいのだろうか。

私は、先祖を敬う、年寄りを尊敬する、両親に感謝する、子供を大切にする、家族は大切だ、こうしたことは教えではなく本能だと感じるのだが、誰かに習ったからこう考えているのだろうか。倫理観は身近なところから芽生えて近所、知り合い、社会、国、世界へと広がっていくものである。身近な教えが倫理観の土台だとすると、日本人には合う、合わない、両方の考え方があろうというものである。
ザビエルの見た日本 (講談社学術文庫)

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