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意思による楽観のための読書日記

東京復興ならず 文化都市構想の挫折と戦後日本 吉見俊哉 ***

太平洋戦争時の空襲で一面焼け野原となった東京を見て、戦後都市復興を構想した人間が居た。東京帝国大学の南原繁学長、終戦時に東京都都市計画課長だった石川栄耀、建築家の丹下健三。「復旧」と「復興」は違うんだと災害時にはよく言われるが、戦後東京が目指したのは復興、新しい文化都市としての復興を目指したが、それは大震災、戦災という東京中が焼け野原になる状況となっても叶わなかった。構想の設計図は書かれたが、それは既存の土地所有権や目先の庶民生活を考慮しない机上の空論だった。そして、五輪や万博開催という「お祭りイベント」の掛け声により一気に交通利便性向上という視点でのみ一気に進んだ。文化都市とは程遠い、江戸以来の都市文化を破壊するような開発行為だった。文化都市構想とその破壊は、バブル経済とその崩壊、二度目の五輪とコロナ禍での開催などによりかえって進んでしまう。

太平洋戦争直後には、それまでの軍事国家を猛省して「文化国家」建設が叫ばれた。新憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」という文言は、焼け跡にバラックを建てて生き延びようとした国民の願いでもあった。東京地区では、洋風のデザインを取り入れた一戸建て「文化住宅」が建設され、関西地区では、トイレやお風呂が一体となった「文化アパート」が建てられた。アルミ製の文化鍋や魚肉野菜何でも切れる文化包丁なども売り出され、「文化」を冠したネーミングは、新しい何かをを意味するようになっていた。文化都市は文化人たちにより議論され、そして文化的首都東京を目指した様々な都市計画構想が示された。

南原繁は東京大学を中心として上野・本郷・湯島・小石川を日本のオックスフォードにしたいという「新日本文化の構想」が示した。都市計画課長の石川栄耀は文化首都未来像として、田園都市と分散的な小環状都市構想が示した。大学を中心とした神田、早稲田、三田、東京郊外の三鷹、日吉、そして大阪市立大学にも大学都市構想があった。丹下健三は東京湾を埋め立てる新メトロポリタン構想を示し、世界の建築家を驚かせた。しかし、焼けたのは上屋の家屋であり、土地の所有権は依然としてそこに残っていたため、広い公園や道路建設、大学移転や商店街整備の計画はいずれも机上の空論となった。

1964年開催の東京五輪に当たっては、都電を廃線とし、土地権利のない運河や川を埋め立てて首都高速が計画され急ピッチで建設された。アメリカのモータリゼーションに伴う路面電車廃止を真似た政策だったが、それらを残す決断をした欧州各国の政策は顧みられなかった。結果として江戸以降の東京の都市景観は一変した。青島知事当選により中止となった世界都市博構想のため、臨海副都心構想とモノレール建設、地下鉄建設は行われ、利用者数が少なく採算の取れない交通網と利用目的の定まらない土地が残された。計画や構想は机上の空論に終わるのに、五輪や万博実施が決まると、お召し列車のような「お祭りドクトリン」が最優先で実行される、これが東京と日本の行政だった。文化もカルチャーもお祭りには敵わない、これが日本の都市構想の実態であり、大阪万博や札幌冬季五輪をめざしている現在の都市計画もこの延長線上にある。本書内容は以上。

都市計画には目指したい都市に暮らす人々の生活を具体的に想像できる設計能力が必要であり、その実現には土地の権利や道路建設などの行政手腕が必須となる。そしてその予算獲得に活躍するのは政治家であるが、その三者が同じベクトルで協力し思いを共有するのは容易ではないのだろう。目指したい都市の具体例はパリなのかシドニーなのか、それとも北京なのか。既存都市での実現は難しそうだ。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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