意思による楽観のための読書日記

東京自叙伝 奥泉光 ***

東京の地に棲み着いた地霊が人や鼠に乗り移ってそれぞれの時代を生きる、というお話。地霊の自分が意識して覚えているのは1845年江戸時代末期から2011年の東日本大震災が起きた年まで。鼠や人に乗り移るが、歴史を語れるのは当然人として生きた時代、鼠は数が多く決して一匹としてではなくて群れとして眺めた光景の記憶となる。

東京に棲み着いた地霊は江戸時代以前にもいた。しかしその時代の記憶はぼんやりしていて、それは人として生きたのではなく動物として生きてきたからである。乗り移り、つまり転生は生まれた瞬間ではなく生きながらにして次の世代に乗り移る事が多いようだ。一部瞬間は複数人の記憶を持つ。乗り移った6人が章のタイトルになっている。一人目は幕臣から新政府の役人になる柿崎幸緒、二人目は日本陸軍の参謀榊春彦、3人目は戦後のヤクザ曽根大吾、4人目は戦後の政界や財界を渡り歩いた友成光宏、5人目はバブル時代を楽しんだ女性戸部みどり、そして6人目は派遣労働者の郷原聖士。こうして明治維新の彰義隊士として、昭和初期は関東軍将校として、終戦後は闇市を生き抜く商売人として、そして原発事故の瞬間は現場の作業員などの人間として時代を生きるが、決して時代に染まらず客観視して生きるため、時代時代の強みや問題点を見つめる傍目八目を持っている。そんな地霊の悟った真理は「なるようにしかならない」である。

昭和天皇が終戦の詔勅で述べた一節「然れども朕は時運の趨く所堪へがたきを堪へ忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す」つまり、時の運びでこうなってしまったのだから仕方がない、しかしこれには理想も道筋もなかった、これからは平和に生きていくために力を尽くします、ということ。これはこの地霊が天皇の一部に転生していたからだと主張する。

日本に原子力発電をもたらした正力松太郎(本書では正刀杉次郎)と一緒に原発導入に尽力した。その結果の一つとして昭和時代の繁栄も平成の大震災後の原発災害も経験する。その頃には地霊は多くの東京に住む人の中に遍く存在することを感じている。つまり、明治維新から大正昭和、そして平成と日本の改革を実現し土台を築き戦争を経験し、その後の発展と繁栄、挫折をもたらしてきたのは地霊が転生してきた日本人全体だという象徴が本書の主人公である地霊だということだろうか。

本書の地霊は東京の地霊のため、東京を離れると具合が悪くなる。そしてなるようにしかならないと世の中を達観しているようにも見えるが、時代を巧みに生き抜くわざは身についているように見える。そして最後に日本はこのままでは滅んでしまうのではないかと悲観的になる。しかし「なるようにしかならない」ワケはない、と裏声で言っているようにも聞こえる。人が鼠になってしまうようではこの世の終わり、群れて眺めるだけが人間ではないはず、というメッセージではないか。第50回谷崎潤一郎賞受賞作。

東京自叙伝 (集英社文庫)


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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