1744年にフランクフルトのゲットーで生まれたマイヤー、銀行業を学び、苗字をドイツ語で赤のrotと盾のschildとして父の金貸し業を継いだ。ウイリアム王子に取りいって財をなしたマイヤーには5人の息子がいた。長男アムシェルにはフランクフルト本店をまかし、次男サロモンにはウイーン、三男ネイサンはロンドン、4男カールはイタリアのナポリ、5男ジェームズはパリと配置した。
一番有名な話は1815年のワーテルローの戦いとその結果をいかに早く市場戦略の生かしたかという逸話。ナポレオン敗戦をいち早く知ったネイサンロスチャイルドはイギリス公債を売り、市場関係者がそれにつられて公債を売ったことによって暴落した公債を再び底値で買い戻し暴利を得たという話。ネイサンはイギリス公債入手により最大の債権者となりイギリス政府に対して絶大な影響力を持つに至ったのであった。同じようにロスチャイルドの兄弟は各国の金融をコントロールするようになる。マイヤーが1812年に遺言したのは次の5つ。
1. ロスチャイルド銀行はすべての要職をロスチャイルド家が担当し外部の人間を入れない。
2. 財産流出をさせないため、いとこ同士でしか結婚しない。
3. 財産状況は口外しない。
4. 遺産相続は弁護士に介入させない。
5. 後継者は長男とする。
実際、このあとの100年で行われたロスチャイルド家の婚姻は18回、16回はいとこ同士であり、2回はユダヤ人銀行家と行われた。1850年ころのロスチャイルド家の財産は60億ドル、150年後の現在は50兆ドルあると見られているが詳細は不明である。
ピーポディーは1854年当時100万ポンドクラスの銀行家であったが、ロスチャイルド家の代理人になることで1857年の大不況の時にアメリカ鉄道債と連邦債で大儲けし2000万ポンドを稼いだ。ピーポディには子供がなかったため、ジーニアス・モルガンをパートナーとしそのアメリカ支店をJPモルガン商会とした。
1929年8月9日、連邦準備制度理事会は公定歩合を6%に引き上げたのを機に、ニューヨーク連銀は銀行への貸付金利を5%から20%へと引き上げた。投資家達は株式市場から逃げ出し、1600億ドルの富が2ヶ月の間に消えた。これを国際金融家は羊毛刈りと呼んだ。この大恐慌では8812社が倒産したが、ニューヨークの5大銀行に対抗しFRBの言うことを聞かない五大銀行に敵対する相手であったという。
日本製品が欧米市場を席巻していた1980年代国際銀行家達は円高ドル安政策を打ち出し1985年のプラザ合意ののち、1ドル250円は149円まで上昇したのだ。1987年にはNYSEの株価は暴落、対日貿易赤字問題で交渉したブッシュと中曽根は日米金利調整に合意、日本の公定歩合は2.5%となり過剰流動性が高まった結果、株式市場と不動産価格の金融バブルが出現した。国際金融資本が用意した武器は株価指数先物商品であった。1989年12月に日本株式市場が最高値の38915円をつけたその頃、舞台裏では株価指数のプットとコール・オプションの売り買いが仕込まれていた。年明けに下落に転じた株価は、株価が下がれば儲かる株価指数プットオプションを大量に売りだしたゴールドマンサックスはアメリカ市場で大いにこの商品を売りさばき、日本の株式市場の相場下落速度は早まった。現在、中国の株式市場にも当時の日本株式市場と同様の仕組みが組み込まれているという。
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