「慰安婦問題」の本質は、女性を戦地に送ったり、戦地に赴く戦士たちのために性的サービスを強制したりしたことを反省し、二度とそうした人権侵害を引き起こさないようにすること。戦地などで民間人を虐殺したり、戦争時に無差別な殺人を繰り返すことは、戦闘状態だったからと言って許容されない、これも「歴史認識」というよりも永続的な人権問題である。「戦争反対」は、こうした歴史的事実から目をそらさず反省し、二度と同様のことが起きないようにするための意思表明である。ウクライナにおける民間人虐殺には世界中が戦慄し、こうした暴挙をなんとか食い止めたいと思っているが、ロシア国民にはこうした事実が正しく伝わっていない。「プロパガンダ」と今は呼ばれる国内向け報道に、なんとかロシア国民にも事実を伝えたいものだが、これは戦争中に日本でも「大本営発表」として行われていたこと。戦争時の大日本帝国と現在のプーチン政権に共通するのは、いずれも権威主義政権であること。
「権威主義国」の共通する特徴は、本書によれば次の通り。
1.国家指導者の判断はいつも正しい。
2.国家指導者と国家の同一視。
3.指導者に批判的な国民を反逆者として弾圧。
4.国内の反体制勢力や敵対近隣諸国を国を脅かす敵とみなす。
5.国家体制を守るための犠牲者を名誉と定義。
6.伝統や神話による偉大な国家の物語を国民に共有。
7.司法・警察・メディアを国家に無条件服従させる。
日中戦争から太平洋戦争にかけての「大日本帝国」やナチスドイツ、現在のロシアにおけるプーチン政権は、まさにこの条件に適合する。隣国の現在の習近平政権にもぴったり当てはまることが恐ろしい。しかし、その国民はなぜこうした権威主義政権を支持するのか。本書によれば、「人は自由を捨てて強大な権威に服従し一体化する道を選ぶことにより、権威が持つ力、栄光、誇りを我が物にできるような高揚感に浸ることができる。自分が抱く迷い、葛藤なども権威が取り払ってくれるので、自由とは間逆な権威主義政権にも開放感を感じられるから」。こうした権威主義政権のメッセージを効率良く伝えるのが、ヒットラーやプーチンの場合には高揚感を煽るうまい演説であり、大日本帝国では教育勅語と軍部に迎合したメディア報道だった。
ドイツではこうした戦争犯罪や特定民族への弾圧、虐殺が二度と起きないために、旧強制収容所跡を博物館とし、法律により鉤十字使用を禁じるなどの反省を表明し実行することで、国家への信頼を回復することに努めた。日本では平和憲法を制定し、不戦の誓いを世界に表明することで、国際社会からの信頼回復に努めてきた。
広島の原爆資料館も世界に設置される慰安婦像もこうした文脈で受け取られているのが、世界の多くの人々による理解である。2018年、大阪の吉村市長(当時)が、サンフランシスコ市における慰安婦設置に、姉妹都市解消のメッセージを送った。サンフランシスコ市長の反応は、「60年以上続く姉妹都市提携は、両市市民の間で成立していて、一人の市長による一方的メッセージで終了できるものではない」とした上で、慰安婦像は、現在もすべての女性が直面する苦闘の象徴との考えを示した。BBCやNYタイムズ、CNN、ガーディアン、AFP、アルジャジーラも、日本には女性の人権を軽視し大日本帝国時代の行いを反省しない市長がいることを報道した。
南京虐殺における虐殺された人数が30万人なのか数万人なのかは、問題の本質というよりも、軍部による史料廃棄、調査手段と方法の問題である。慰安婦問題における、女性への強制性の有無も同様で、実質上の軍隊や国家による圧力により女性たちは性的サービスを強制されたことは事実であり、「議論が分かれている」などという論調やレトリックは、多くのメディアや人々による軽蔑を招くことは自明。これを、「中国や韓国による日本攻撃である」、「様々な学説がある」、などとするのは、その発言者への信頼失墜と軽蔑を招いていることを自覚することが必要。本書内容は以上。
日本では広島・長崎での核による大虐殺があり、東京大空襲による民間人大量死傷があったので、多くの国民にとっては戦争被害者であった。同時に、中国大陸やアジア諸国においては、大日本帝国は侵略者であり、多くの民間人を含むアジアの人たちに塗炭の苦しみを与えたことも事実。だからこそ、戦争は二度と起こしてはならないし、核爆弾使用、慰安婦や民間人虐殺などの人権侵害の再発を防止することも重要になる。こうした認識を持つことは「自虐的」でも「反日」でもなく、日本が世界で尊敬されるための第一歩。ウクライナ侵攻や中国の海洋進出圧力を受けて、様々な安全保障上の懸念が今後議論されると思うが、本質的な歴史問題への理解は、議論の大前提となる必要がある。