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意思による楽観のための読書日記

「司馬遼太郎」で学ぶ日本史 磯田道史 ***

司馬遼太郎の小説や随筆、たくさん読んだ。1986-87年に文芸春秋に連載された歴史随筆「この国のかたち」では、統帥権干犯問題、これが1905-1945年の日本を誤った進路に推し進めてしまった、という主張だった。大日本帝国憲法では、軍隊の統帥権は天皇が持っていて、議会や行政の枠外にある。さらに、帷幄上奏権は軍隊の責任者が天皇に直接意見を述べることができるため、象徴的な実権しかもちえないのが実態だった天皇を軍部の意のままに操ることも可能となった。軍部がそこまでの力を持ってしまったのは、日清・日露戦争での国民からの軍部への信頼醸成であり、メディアの軍部への迎合にあった、と司馬遼太郎は考えた。

その軍隊を作ったのが、長州周防の村医から討幕軍の総司令官となり、近代兵制を作り上げた大山益次郎だった。彼を主人公にしたのが「花神」。そして、無敵とされたロシアのバルッチック艦隊を破ったのが富国強兵で増強された海軍だった。その日露戦争を勝利に導いた秋山好古・真之兄弟と、俳句改革に命をかけた正岡子規、伊予出身の3人を中心に、明治という時代の明暗と、近代国家誕生にかけた人々の姿を描いたのが「坂の上の雲」。

そして大日本帝国憲法制定を進めたのが長州藩出身の伊藤博文。江戸末期に日本に欧米文明を伝えたのはアメリカ、イギリス、フランスであり、岩倉使節団が新政府作りの基礎情報を得るために欧米を訪問した。しかし憲法のお手本としたのが、当時、破竹の勢いで欧州を席巻し始めていたプロイセン王国だった。プロイセン王国は軍部が強力な憲法を持っていた。

明治という国家」では、維新を進めた人物に焦点を当てた。国家改造設計図を書いていた小栗忠順、幕府解体を請け負った勝海舟、それを容認した徳川慶喜、和歌山に時代を先取りする新体制をもたらした津田出とその学問の師だった荻生徂徠、新国家への助言者福沢諭吉、無私の心で倒幕を進めた西郷隆盛、国家建設の推進者大久保利通。「竜馬がゆく」では、それまであまり注目されていなかった人物、坂本龍馬を世の中にデビューさせたとも言える。維新を実現させた薩長同盟を進めたのが坂本龍馬であり、裏で入れ知恵をしていたのが英仏の外交官や商人たちだった。特にアーネスト・サトウは先に挙げられた幕末維新の有名人たちに多くの情報を提供した。万国公法と国民国家の構想を聞かされた龍馬は大いに触発された。清がアヘン戦争で散々な目に合っていることを知った幕末の志士たちは大きな危機感を抱いた。

司馬遼太郎は、日露戦争から昭和の太平洋戦争敗戦までの期間を「鬼胎の時代」と呼んだ。なぜ、日本国民はこの時代が来てしまう状況を作り出してしまったのか、これが司馬遼太郎が終生考え続け、小説や随筆に書いて読者に問うてきたことだった。本書内容は以上。

鬼胎の時代の前に、明治維新後の日本人の過剰な自信獲得と愛国主義の暴走があった。象徴的なのは日露戦争講和条件に不満を持つ市民による、日比谷焼き討ち事件。国民の支持を背景にした軍部は、「日韓併合」と呼ばれる朝鮮半島の植民地化と、満州進出を進め、これが引き返せない戦争への道につながった。ドイツによるズデーテン地方占領からポーランド侵攻や、ロシアによるクリミア・ドンバス併合からのウクライナ侵攻との多くの共通項がある。人類が歴史に学び過ちを繰り返さないためには、何が必要なのだろうか。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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