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意思による楽観のための読書日記

吉田松陰 津本陽 ****

明治維新政府とその後の長州閥政治家や軍人たちに、なかば神格化されてしまった感のある吉田松陰。ファンは多いかもしれないが、本書は彼の業績とともにその生涯を客観的に俯瞰してみようという一冊。吉田松陰は長州藩の下級藩士で兵法師範の家系、杉百合之助の次男として1830年(天保元年)に生まれた。しかし6歳のときに、兵法師範役だった叔父吉田大助の死去に伴い山鹿流兵学師範の吉田家を継ぐ。それからは、もう一人の叔父、玉木文之進から厳しく教育を受ける。幼かった松陰は、母の瀧の優しさに守られながら文之進の朱子学に根ざした厳しい教えを受け止めた。貧しい暮らしに耐えていた両親や親族は幼いときからその学問の才能の片鱗を見せていた松陰の将来に期待した。松陰もそうした期待に答えるべく学問に精進、10歳にして藩主毛利敬親に山鹿流兵学を講義するまでに至る。藩主には褒められた松陰だったが、教育学者の海原徹はこの時期に松陰の書いた論文を、文章は理路整然としているが内容的には斬新さはない、と評価している。また、松陰による明倫館での兵学講義に参加していたのは、親族友人たちが殆どで一般生徒の人気はなかったという。明倫館講師時代の松陰はまだまだ未熟だったが、藩の兵学者として彼を支えていこうとする門下生には、山縣半蔵、桂小五郎、益田幾三郎などがいた。

20歳になると平戸・長崎に遊学、多くの書籍を読破。特に、長崎で葉山左内に出会い王陽明の伝習録で陽明学を学び、会沢正志斎の富国強兵論を知る。アヘン戦争などによる英仏による中国、インドの蹂躙を知り、父や叔父から薫陶を受けてきた攘夷論に拍車がかかるのもこの時期。また、熊本で終生の友となる尊王家の宮部鼎蔵と出会った。とはいえ、松陰は九州での学問の限界を感じ、江戸への遊学を考える切っ掛けとなった。

江戸への遊学は藩の後押しがありすぐにかなったが、江戸から東北への旅を申請する際、藩からの正式な許可を得る前に旅立ち、脱藩者扱いとなる。制止する友は多く、それが分かっていながら敢えて旅立ったのは、ともに旅する仲間との約束を守るため。結果として吉田家は断絶、松陰の士分は剥奪、蟄居処分とされるが、藩としては兵学家を断絶のままにはしておけず、処分と同時に、将来の再取り立てのために江戸遊学を再度松陰に許可する。安政の大獄で死ぬことになる松陰が、「義あれば通ず」と信念を貫くことを繰り返す素地は、こうした藩と親族による度重なる温情があったためかもしれない。

二回目の江戸遊学では佐久間象山に師事、すぐにサスケハナ号など4隻の黒船を目にして、異国の強大さと同時に日本海防の不足、交渉に当たる幕府役人の弱腰を痛感する。ジョン万次郎が遭難してアメリカで学問を学び帰国して幕府に重用されていることを象山により教えられた松陰は、漂流出国という手段を考える。すぐに長崎へ向かいプチャーチンの船への接近をしようとするが、長崎に到着したのはロシア船が出航した4日後だった。尊王攘夷を唱えていた松陰だったが、新しい学問と技術は異国から学ぶしかないとも考えていた。そしてその翌年、下田でのペリー艦隊への侵入事件を起こし、使嗾した象山は松代藩で蟄居、松陰は長州藩により野山獄に幽閉されてしまう。死罪とならなかったのは、アメリカ側から寛大な処置をという申し入れがあったこと、老中阿部伊勢守が象山を高く評価していたこと、象山の主君真田家当主は吉宗のひ孫、松平定信の子息であることなどが勘案された。尊王攘夷運動を刺激したくなかったということなかれ主義が松陰には有利に働いたのかもしれない。

野山獄で松陰は猛烈に読書し、同時に野山獄にいた囚人たちを相手に、孟子などの講義を行い、国際情勢を語って、野山獄内の沈滞しきった雰囲気が一変したという。入獄の翌年1855年、松陰は病気療養を名目に生家に引き取られる。これは、江戸遊学時に知り合った水戸藩の豊田彦次郎の周旋があったため。松陰の生家は萩郊外の松本村にあり、松本村にある塾、松本村塾と呼ばれたが、生家に帰った吉田松陰は、その塾でほそぼそと講義をはじめた。刑余の身で表立っての講義は憚られたため、塾名を松下村塾と改め、生家の隣にあった廃屋を補修、翌年から本格的に講義を始めた。

この時代、松陰は尊王攘夷思想が過激化、ペリーとハリスに強要され朝廷の勅許を得ないままに結んだ井伊直弼をはじめとした幕閣と日米和親条約を批判する。親善を表の顔として接近してくるアメリカを特に警戒して、意見書を藩主に上程している。戊午の密勅を契機に安政の大獄が始まり、梅田雲浜、頼三樹三郎、橋本左内、日下部伊佐次などが捕縛される。この水戸への密勅の写しを手にした松陰は自らも過激な行動に出ようと決心した。天皇の比叡山への臨幸計画、紀伊藩水野土佐守暗殺計画、攘夷派公卿大原重徳西下挙兵計画などを企てるがいずれも稚拙な計画と好都合な前提に立ったもので、不発に終わる。世情を憂うるあまりに僅かな情報、誤った情報を手がかりに松陰が進めようとする無謀な計画に塾生や理解者も暴発しようとする松陰を押し留めるのに懸命だった。

老中間部詮勝の暗殺計画を、藩政務役周防政之助に上申するに至り、周防は松陰の旧友、知友などに思いとどまらせるよう依頼するが松陰は納得せず、前後を顧みず暴発することで藩に多大な迷惑をかけることを避けるため、松陰を幽閉することとする。この時期、幕府は京都を中心に尊王攘夷を声高に叫ぶ反幕府勢力を根絶やしにしようと、捕縛して江戸送りとしていた。野山獄に幽閉されていた松陰にも幕府から江戸送りとの命が下り、江戸での裁きを受けることとなる。尋問にあたった吟味役に対し、正しい義を唱えればきっと通じるものがあるはず、との信念より、松陰が考えている尊王攘夷の思いの丈をぶつけた。吟味役は寺社奉行、大目付、勘定奉行、南北町奉行たちで、松陰の論に吟味役たちが頷くと見るや、松陰は大原重徳西下計画と老中間部詮勝要諫論を開陳してしまう。松陰は重くて他家預け、軽ければ国許送還程度と高をくくっていた。しかし吟味役たちは、松陰に殺意があったことを引き出し、死罪を命じた。その時の幕府の立場や他の容疑者たちへの沙汰を考えれば容易に想像可能な結論だったが、松陰にはそのような政治的背景への考慮はなく、あくまで楽観的である。

 松下村塾で彼の影響を受けた人々は、日本近代化に大きな役割を果たし明治維新を支えたというのが一般的な理解。高杉晋作は奇兵隊を結成。多勢に無勢の形勢で、誰もがその挙兵の無謀さを説いたが、高杉が挙兵したのは、「君たちは功業をなすつもりか、私は義をなすつもりだ。そのためには命をなげうっても惜しくはない」という松陰の教えだった。功山寺挙兵での奇兵隊勝利により、長州藩での倒幕の勢いは一気に加速したが、晋作は肺結核により明治という新しい日本を見ることなく世を去る。久坂玄瑞は八月十八日の政変、池田屋事件などで力を失った長州藩を挽回させるため京都に進軍、蛤御門の変で薩摩・会津連合軍に敗れ自害。吉田稔磨は新選組に襲撃された池田屋事件において討死。入江九一は蛤御門の変で久坂玄瑞部隊の一員として参戦。久坂自害の後討死。ここまでは、幕末に死亡してしまったため、その後の展開はない。しかし伊藤博文は功山寺挙兵の際も高杉晋作の傍らで活躍。大久保利通が殺害されたのち内務省を継承。大日本帝国憲法の発布に尽力、初の内閣総理大臣となる。山縣有朋は久坂玄瑞の紹介で松下村塾に入塾。しかし、入塾が遅かったため、松下村塾へ在籍していた期間は1ヶ月弱。高杉晋作の功山寺挙兵でも、遅れてやってくる人物。それでも明治政府では要職を歴任。大村益次郎亡き後、後継者として日本陸軍を牽引した。伊藤は松陰の弟子だったが、機を見るに敏、ある時は尊王攘夷、ある時は開国とうまく立ち回る。山県は維新後は最後の維新の元勲として松陰の門下生だったことを利用した。山県の子飼いだった田中義一は軍国主義の国粋主義的教育の主人公として松陰を引っ張り出し、その思想を利用した。明治15年には門下生たちにより墓の隣接地に神社が建てられ、それに先立つ明治13年には西郷隆盛を祀った南州神社、山県以降は長州閥が牛耳る陸軍は乃木神社、薩州閥の海軍は東郷神社と、軍国思想啓発のために先人たちをうまく利用する傾向が見られる。

あとからうまく利用されたとしても本人の業績には影響しないはず、とも言えるが、喧伝されるほどの人格者、教育者としても評価できないというのが客観的事実。絶望の中でも希望は失わず、直情径行でいつも楽観の姿勢を貫く。無邪気で我欲もなく、直接彼に学んだ弟子たちには忘れられない敬慕の念を残す男だった。世間での功名を考えず、成功と失敗の分かれ道ではなぜか失敗に向けて踏み出した男であった。しかしその姿を身近に見た高杉晋作、久坂玄瑞などが新時代開拓に行動できたのは、師である松陰の教えが背中を押したことは間違いない。本書内容は以上。

吉田松陰という幕末の有名人が、実は直情径行、無私で我欲もなかったということで、多くのファンが居ると思うが、その根本思想は、一本気な愛国的攘夷論だった。幕末維新の混乱期に、尊敬する師の教えを現実化したい、という弟子や門下生達による功績が、その師自身の評価につながる、という事例だと思う。無謀で向こう見ずな面があっても、そういう師が目の前に居れば、やはり尊敬すると思う。それにしてもよく見る松陰の肖像画は落ち着いた感じで、30歳の若者には見えないのは私だけだろうか。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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