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意思による楽観のための読書日記

渡来の古代史 国のかたちをつくったのは誰か 上田正昭 ****

大陸から朝鮮半島伝いで日本列島に移住してきた人たちを渡来人と呼び、縄文、弥生、古墳、奈良と続く日本文化の黎明を築き、支えてきたのは渡来人たちだったとする。百済・伽倻系の人たちが漢人(あやひと)、新羅系が秦人(はたひと)、高句麗系が高麗人(こまびと)と分類して、それぞれが果たしてきた日本史における役割を解き明かす。帰化人という呼び方があるが、帰化とは統治された国または組織体制に外部から帰属するという場合に使い、大陸からの移住者たちの多くが日本列島に移動した時期は、列島に統治された国はなかったのだから、その頃の移住者たちは渡来人と呼ぶ必要があるという主張。日本書紀が、日本国の歴史を立派に見せたいという意図から、古渡の移住者にも「帰化」という表現を使ったという解釈。日本という国号は天智天皇670年以降で大宝元年(701年)の間に使用され始めたとし、詳細に見ると中臣鎌足死後(669年)で天武朝時代の674年以降には確実に存在した記録がある。天皇の称号は、船王後墓誌(668年)での使用が認められ、近江令を定めた庚午年籍(670年)の天智朝時代に使われていた可能性を示す。つまり、670-673年の天智から天武時代に日本国、天皇が使われ始め、日本国としての統治が始まったと考える。

新羅系の秦氏は弥生時代から渡来し、応神・仁徳朝、雄略朝、白村江の戦い敗北以降と渡来は大きく4段階に分けられるという。仁徳朝以前が古渡(こわたり)、それ以降が今来(いまき)として日本書紀では分類されている。秦氏の分布は京都の深草、宇治、葛野が有名で灌漑、製鉄を始め、馬による農耕、酒造りなどを始めた。蘇我氏や厩戸皇子の側近として軍事面で活躍したのが秦河勝で、新羅からの使者の道者となり、外交面でも活躍した。列島では、豊前、駿河、越前、河内、尾張、伊予、讃岐、上野、美濃と全国的な広がりが見られる。

百済・伽倻系の漢氏は馬を列島にもたらした。東漢がヤマトノアヤ、西漢がカワチノアヤと呼ばれ、生駒・金剛山地を境に東西に分布したのが始まり。6世紀には坂上氏、民氏、長(なが)氏、文(書・ふみ)氏と分かれていく。西漢氏で文字を広めたのが文氏の始祖である和邇(王仁)氏。焼成度の高い須恵器、馬具制作者、絵描き、高級織物、衣服制作などが漢人の担った役割。

高句麗からの渡来者が高麗(狛)氏で、地名としても列島に多く残る。716年には高麗人1799人が入来、武蔵国に高麗郡を建都したと続日本紀に記されている。船作りの祖である王辰爾は百済系渡来人で、葛井氏、船氏、津氏はもとは同一の祖とされる。

日本政治に大きな影響力を及ぼしたのが百済王氏である。651年唐の高宗は新羅と協力して百済を滅ぼす戦略を打ち立て、百済王の子であった善光と豊璋はともに列島に渡来した。663年には白村江の戦いで倭国も大敗、二人の子孫は日本で活動することになる。有名な高野新笠は山部親王を産み、その後親王が桓武天皇となってからは、百済王氏から桓武後室には少なくとも9人が入室している。桓武天皇時代から百済王氏家に伝承されてきた太刀が、百済滅亡に際して、それまで二種の神器だった皇室の宝に加えられた見解を示している。

列島に暮らす人に対応するように、大陸・半島からの移住者を渡来人というが、政治や経済、文化面、文字、宗教、農耕、製鉄、酒造、天文科学を日本列島にもたらし、運用、維持、発展させてきたのが渡来人である。漢字の受容は、和語の漢字による表現である和風式漢文体により、漢字の音と訓を交えて用いることで倭語を表記したのが始まり。出土品としては稲荷山古墳出土鉄剣の「意冨比コ[土偏に危](おおひこ))などがある。後漢書の東夷倭人伝で57年に倭の奴国に金印を授与したことが記され、志賀島から金印が見つかった時代、日本列島の住民が漢字に触れていたことが示される。金印には本来書かれる「之印」がなく、漢倭奴国王と刻印されていることから、文字を解さない異民族に与えた印璽であることが伺える。金印を授与されているからと言っても、上表文を提出していたと即断することは難しいという。景初3年(237年)に「倭王使いに依りて上表す」とあるが、魏サイドの使者による代理上表とも考えられ、これも即断はできないとする。しかし邪馬台国には通訳を務めていた大夫難升米がいたことが記されており、外交を担う渡来人だった可能性がある。5世紀の段階では渡来系の人々を中心に筆録が行われていたことは確実であり、文字使用の広まりは、古渡や今来の渡来人たちの間で、倭語を取り入れながら広がり、政治、経済、文化の発展に寄与してきた。道教、儒教、仏教の伝来が文字使用を日本列島に定着させた。

天之日矛と都怒我阿羅斯等の伝説は、半島から日本海ルートで列島に鉄器と製鉄を列島に伝えた新羅系の渡来人を象徴すると考えられる。そこで語られる伝承に共通するのは、牛が登場し神石や赤玉が乙女に変化、乙女が比売許曽の社神になる由来が語られ、乙女を追って渡来してきたとする。日光に感精して懐妊するという赤玉伝説は古事記、そして三国史記にもありそのふるさとは朝鮮半島由来であることは確か。蘇我氏や継体の先祖として今後さらに検証する必要性の可能性を示唆する。本書内容は以上。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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