新装なった平等院、10円玉に描かれたその姿は現物を見てみなければちょっと想像できないほど素晴らしいものである。賛否両論あるようだが小学生の時に遠足や写生大会で訪れた時の姿とは大いに異なる美しさで蘇っている。宇治は京都の中心部から南に10km、京阪電車かJR奈良線で30分ほどである。風光明媚な地であり9世紀には京の都に住む貴族たちの別荘地であった。現在平等院が立つその場所は889年には左大臣源融の別荘宇治院として利用されていたそうである。源融の死後歴代天皇や臣籍降下した源氏達の持ち物になっていたが、998年に時に権力者となった藤原道長に譲られた。その長男が藤原頼道、1052年に宇治院は別荘から寺院へと改築されたが、その年は世界が末法の世に入ると言われた年。末法の世を大変恐れていた当時の藤原頼道は後生の安心を得ようと、大日如来、阿弥陀如来像を運び込み阿弥陀堂を設置して晩年は出家してここで余生を過ごしたという。
11世紀末には藤原氏の権勢に陰りが見え平等院も衰えた。火災による僧坊の焼失、以仁王による挙兵に伴う戦いで寺院は荒れ果てていく。建武の中興の戦いで阿弥陀堂以外の建物などを焼失、建築時の偉容は失われていった。16世紀には天台宗から浄土宗へと管理主体が変更され真言宗の僧達による伽藍復興の動きなどから宗派間で管理権争いにも発展。江戸時代に入って寺社奉行の裁きで天台宗と浄土宗による共同管理として決着した。明治初期には廃仏毀釈運動で存廃の危機に見舞われたが明治30年には特別保護建造物に指定され大規模な修復も行われた。
太平洋戦争後は宗派から独立、昭和26年に国宝指定、平成5年に世界遺産登録、現在に至っている。
本書ではその平等院を発見された資料や改築にあたって分かった新事実などからその色彩と形態をCG再現して紹介している。再現された色彩は外観はあくまで控えめだが、中の装飾や仏像などは目にも鮮やか、中世や近世にはない艶やかさを誇っている。突飛な飛躍だが、最近CG再現されている恐竜達も実はもっともっと派手な色だったのではないかと思ってしまう。
末法の世が来ると恐れていた貴族たちに思いを馳せながら平等院の色彩豊かな姿を想像してみるも楽しい。
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