「地球環境問題への対応だとして、CO2を地中に埋める、太陽光を遮って温暖化を防ぐ、などというのは別のリベンジを受ける可能性が高い。それは、二酸化炭素が悪いのではなく、インプットとアウトプットを調整する努力が重要だからです。インプットを減らすには、できるだけ化石燃料を燃やさず、代替エネルギーを求めて使う。アウトプットを増やすには、光合成を応援するしかありません。」
環境問題で直感的に腑に落ちないことに、福岡さんが挙げているようなことがあって、その他にも例えば「温暖化ガス排出権取引市場の創出」という計画に、そんなことをしても総排出量は変わらないではないか、と思う素朴な疑問に生物学者としての見解を示してくれたと感じます。(CO2排出量を制御する必要があると考えることはマイナスではないので、取引市場創出による二次的効果を期待できると考えられます。)環境問題も所詮は「増えすぎた人類にとっての問題」であって、46億年の歴史を持つ太陽系地球全体系からみれば、小さな「揺らぎ」程度なのかも知れません。福岡さんは次のように言います。
「人間を分子レベルで見ると見た目は同じに見えても数ヶ月ですっかり入れ替わっています。地球全体で見ると原子の総数は(隕石と地球外に飛んでいったロケットを除けば)誕生以来変わっていない、地球全体の原子の総量は一定で、太陽のエネルギーによって循環させられているだけ。だから私を構成している分子は、次の瞬間に私から出ていって、ミミズや海の藻屑や岩石、無生物の一部になっているかもしれない。時間軸を一億年レベルにとって、私を観察したら、分子が集まって、また雲散霧消するというような、固体ではなくガスみたいなものとしか見えないでしょう。それぞれの生命は、分子の“淀み”と“流れ”でしかない」
これは、福岡さんのもう一つの著書である「動的平衡」での解説にあるとおりです。インタビューで福岡さんは、環境問題も地球環境という大きなシステムを対象とした複雑系であり、生物のような「動的平衡」があるという示唆をしているのです。地球温暖化、という現象を細かく分析していって、原因となるものをCO2等のガスであると科学的に証明した、というのが現在の環境推進の理論的支柱ですが、太陽系にある地球システムという大きな流れに逆らうことは得策ではなく、地球環境という大きなシステムの動的平衡を乱すことなく、うまくインプットとアウトプットを調整することで対応することができればいい、というのが福岡さんの示唆だと思います。
「自己複製するものが生物」という定義からすると地球は生物ではないのですが、「動的平衡を維持する仕組み」と考えれば、地球と生物の共通項が見えてきます。福岡さんは「生物をパーツにわけて機能を研究しても生物全体のことは分からない」と感じていて、その主張を新しい著書「世界は分けても分からない」で解説しています。分類して細かくしたパーツ毎に研究を進め、パーツの機能を解明していくことが科学である、とすればその科学の限界は「世界は分けても分からない」ことだ、という主張です。
花粉症対策として抗ヒスタミン剤を飲むと短期的には症状は治まるが、長期的に生物は与えられた抗ヒスタミン剤を凌駕するヒスタミンを分泌しようとするのでアレルギーが強まるだけ。つまり、短期的な局所対応は全体系への悪影響を残す、ということ。環境問題を考えるときにも、ヒントになる考え方ではないでしょうか。福岡さんはさらに、次のように人類の罪を解説しています。
「ニッチとは自分の居場所、人類は自分の居場所を拡大しすぎてきた。その結果、生物多様性を犠牲にして、人類の数(人口)だけが増えすぎ、CO2排出量が増えて問題になっている。『過剰』を制御できないのが人類です」
環境問題への対応で重要なのは、CO2を悪者にした排除や取引ではなく、福岡さんの解説している「インプットとアウトプットの調整」が重要である、との主張です。
『過剰』の抑制のために日本人が世界と地球環境に貢献できるとしたら、「足を知る」、「もったいないの精神」を広めることがあると思います。また、人間は「腹オチしないこと」には本気では取り組めない、という性質があると思います。環境問題に「どうも腹オチしない」という方には、福岡さんの「動的平衡」の解説、一つの考え方ではないでしょうか。
動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか
世界は分けてもわからない (講談社現代新書)
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)
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