見出し画像

意思による楽観のための読書日記

歪められた江戸時代 古川愛哲 ***

250年以上続いた江戸時代のイメージを作り上げたのは、大正・昭和時代だった、という指摘が本書。明治維新、政府は四民平等、旧弊打破、文明開化の名のもとに、国を挙げて江戸時代の文化を旧来の風習として、できるだけ脱して西欧の進んだ風習を取り入れようとした。「断髪脱刀令」や歌舞伎や講談における合戦モノの禁止、剣術や柔術は剣道、柔道と改名された。その結果、「江戸時代が懐かしい」などとは言いにくい雰囲気が醸成されたという。しかし大正昭和の時代になり、武士の精神見直し、忠信孝悌の重視などにより、江戸時代ブームが巻き起こった。江戸時代の実態を知る人がいなくなった中で、江戸時代っぽい風俗が大衆小説や演芸の中で生み出され、それが現代まで受け継がれている。鞍馬天狗、丹下左膳、遠山の金さん、鬼平犯科帳、武士の一分などでは、江戸時代の実態とは異なる描写が作り出されていった。本書は江戸時代の実態はこうだった、という一冊。物価の現代感覚を得るため、1両を20万円、として換算して実感するための表記としている。

江戸市中は乗馬禁止なので、武士は中間を連れて道の中央を歩いた。御家人なら羽織は黒、浅葱色なら諸国からの勤番者で江戸見物、旅籠屋にはカモにされた。下肥は農村で利用するため回収されたが、町中には糞尿の匂いが溢れていた。江戸に眼病が多かった理由の一つが、大八車で運ばれた下肥の汁こぼしが砂塵とまじり目に入ったためではないかと推測する。将軍吉宗の時代までは江戸の男女人口比は3対1だった。そのため、吉原が栄え娼婦が増え、浮世絵が売れた。

江戸で話された江戸言葉。十手:ジッテ、髪結床:カミィドコ、真っ直ぐ:マッツグ、雪:ヨキ、行く:ユク、動く:イゴク、九里四里うまい十三里:江戸から13里の川越の薩摩芋、味噌な:生意気な、わけあり:男女の性的関係のこと、松の葉:寸志、ちょっくら:こそ泥的なこと、つぼい:可愛い、鮨な人:慣れた熟成した人、このタコ:御目見得以下への悪口、夜鷹:遊女、越前:包茎、越前松平家の大名行列の槍は穂先に皮をかぶせていた。

江戸の正月は、大名たちが挨拶詣でをするので混雑した。元旦は年賀登城、二日は御三家の嫡子、国持大名、外様大名の登城、三日にはその他の大名、町年寄などが登城、三が日には江戸在勤の大名同士が挨拶、江戸市中は大名行列で大混雑し、庶民は初詣どころではなかった。江戸の会計年度は米により決められていた。年貢米の納付期限が10月から2-3月までとされ、旧暦3月5日が幕府の会計年度の始まりとされた。年季奉公人の契約切替日も三月晦日とされ、明治になっても幕府の会計年度が引き継がれた。江戸には盆踊りはなく、地方にはあった。地方の各大名家の領地のことを「藩」と呼ぶのは明治時代以降で、江戸時代には「岡山池田家のご領地」などと呼ばれていた。石高はその領地全体の米収穫量であり、6公4民だとすれば、大名への収入額は6割。その半分以上は家臣の知行として配分され、参勤交代費用が実収入の半分ほどと言われたので、この時点で多くの藩では赤字傾向となる。江戸時代の実態は江戸も地方も苦しい経済状態だった。本書内容は以上。

時代劇で描かれる江戸の風俗の多くは物語を分かりやすくするための演出だった、というのが本書。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事