古代における天皇の地位は終始同一系統の血統で世襲されてきたとは考えられないと筆者は言う。選挙のような制度があったという推測である。選挙と言っても支配階級による協議のようなもので、魏志倭人伝に日本での内乱の後諸勢力がともに卑弥呼を立てて女王とした事実が伝えられており、衆議に基づいて君主の擁立される古代的選挙君主制度の存在した可能性を指摘する。武烈天皇の死後子孫がなく、大伴金村が他の有力者と協議して遠方から継体天皇を迎え立てたという記紀の記述からは、ヤマト国家でも同様の君主選定が行われたことを裏書するという。また、継体天皇が応神天皇の子孫であるとする根拠は薄く、武烈以前の王朝と継体天皇以降の王朝に断絶があると指摘、多くの歴史かも指摘する点である。
日本における性器を公然の場に公開する歴史は日本固有の文化であるという。日本各地に現在も散見される事実があり、天鈿女命の天の岩戸開きの歌舞においても女陰を公示して歌舞したことが伝えられているが、この物語は鎮魂儀式を素材にした神話であり、祭祀に老いて女性が参列者の前で女陰を露出することもしばしば行われたに違いないと推測する。秋田県の地方では田植えが終わった後に雇人の男女を交合させて農業の神を刺激し稲作を祈る習慣があったという。性行為さえも公示されていたのが日本特有の文化であるというのである。このような性行為の公然性は妻問婚から嫁入り婚への転移に伴って薄れ、儒教的な道徳が正統的思想になってきたことにより社会の表面からは一掃された。しかし、家庭制度が人間の自然の性情を抑圧してしまうことはなく、かえって性の隠蔽が表向きの道徳とされた時代に浮世絵の一流の画家たちがこぞって秘戯画を描いていた。ポツダム宣言語は嫁入り婚から寄りあい婚に移行、性に関する観念も大きく変わった。筆者は後記でチャタレイ裁判を例にとって、判決を批判、「家庭の団欒においてはもちろん世間の集会などで朗読を憚るものでありワイセツである」とした判決理由に対して、「冗談ではない、世の中の発刊物のすべてが家庭の団欒などで朗読するものなどではないのだ」と指摘、出版物にはそれぞれ目的があるのだという。
平安朝の大和絵で最も多く描かれた題材は四季絵。梅、霞、鶯、雉、雁、桃、桜、山吹、杜若、藤、菖蒲、蓮、卯の花、常夏、時鳥、五月雨、滝、月、露、鹿、菊、霧、紅葉、時雨、枯野、雪というような動植物・天体・気象などの自然の風物。若菜摘、小松引き、稲荷詣、賀茂祭、水無月祓、夏神楽、納涼、駒迎、小鷹狩り、臨時の祭、野行幸、大鷹狩り、仏名などの人間の行事もあった。そして人物と自然が組み合わさって描かれることで人生の周辺部として自然が描かれた。外国の絵画は自然は人物の背景として描かれるか、自然が描かれる中に人物が点景として存在しているのと大きく異なるという。これは四季絵が月次絵とされる特徴である。大和絵と同時代の物語、和歌、後世の連歌、俳諧でも自然と人事とが分離しがたい融溶をなしているのが特徴であるとする。
アメリカの文化人類学者ベネディクトは「菊と刀」で「恥を基調とする文化」と「罪を基調とする文化」を文化の二大類型とした時に日本文化は前者であると指摘、日本的善悪観を「他人の批評に対する反応」が道徳的行為の基準となっているとした。筆者もこれに同意、しかし、親鸞や道元により日本的価値観から反逆する哲学が追求されたが、それが有力な思想的系列として歴史上の伝統になったことはなかった、と解説する。
第二部では筆者は江戸時代に読まれた川柳から庶民意識を紹介している。家族生活、親子、嫁と姑、階級観、政治意識、経済観念、都鄙意識、儒教観、宗教観、などである。
家永三郎の一面を知った。
歴史家のみた日本文化
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