1966年アメリカはアイオワ州生まれの筆者は日本や台湾に留学、96年からはブルームバーグやAP通信で記者の仕事に従事し始めた。その後ウォール・ストリート・ジャーナルやニューヨーク・タイムズ社に記事を書きながら、活動場所をアメリカから北京、オーストラリア、そして日本へと移してきた。日本に来て12年、一番驚いたのは「記者クラブ」の存在だった。外国人記者を排斥し、警察や官公庁、日本銀行、官邸などからの情報を独占しようとする存在だった。そして日本の記者たちの発信する報道が一色、つまり発表記事情報の切り貼りから成り立っていることに驚く。具体的には2008-2009年に一斉に起こった「小沢おろし」報道、そして2011年東日本大震災に関する報道であった。日本にはまだまだ発展の可能性があるのに、少子化や高齢化、世代間格差や社会システムの矛盾など数多くの取り上げるべき問題があるのに報道されない。記者の関心は関係者からいかに情報を早く手に入れるか、にかかっていて、どのような視点から問題を取り上げるかが疎かだと。
3.11報道で問題になったSPEEDI情報の非開示問題があった。情報開示をすることで混乱を招くことを懸念した、という当局発表を批判的に取り上げたのは震災後半年を経過しての朝日新聞「プロメテウスの罠」だけだった。記者クラブの排他性は、情報寡占を目論む既存メディア所属の記者であり、報道に携わる者同士の強力ではなく、既存権益が一致する者同士による野合だとファクラー記者の目には映った。英語で”Access journalism”とよばれるこうしたメディアの姿勢はアメリカでは報道に携わるものにとってもっとも批判されるべき姿勢だと。記者クラブの弊害は3.11だけではなく、政権交代直前の西松建設事件の報道、オリンパス事件についての海外メディアと日本メディアの報道落差、山一證券破綻直前の海外メディアによる破綻懸念報道に対する日本人記者の怒り(こんな報道をしてくれたおかげで山一広報部から情報が取れなくなってしまうではないか)、などなど。
大企業の幹部たちといかに仲良くなれるかを競っているような日本人記者、政治家の誕生パーティを開いている記者たち、企業情報掲示板のような日本経済新聞とその日経に与えられた日本新聞協会賞、北海道警察の裏金報道をした北海道新聞に対する警察圧力とそれに屈した新聞社、と枚挙にいとまがないと。大卒の新入生ばかりを一斉に採用する日本の新聞社には多様性がないと、そして署名記事の少なさもアメリカでは考えられないと指摘。日本の新聞社は閉鎖的であり多様性が不足しているという。
今後はソーシャルメディアと既存メディアは共存することになる、そのとき、日本のメディアはどのような姿勢を取れるか、ニュースの価値をどう捉えられるかの勝負ではないかと。日本に存在する期待は地方新聞、そして東洋経済誌のような雑誌メディアだという。新聞の変革こそが日本の民主主義の変革をももたらす、現在のような記者クラブは遠からず崩壊する、日本の民主主義は新聞のあり方に象徴される、と大胆に予測している。
筆者の主張と同様の主張をしている学者や政治家、メディアの人たちは多く、上杉隆、それに共感して自らの記者会見のやり方を変えたのが小沢一郎であり亀井静香であった。日本が成長路線にあった時代、政府の決めたガイドラインに沿って発展を続けていた時代には記者クラブ方式の報道にも一定の意味はあったのかもしれないが、今はもうそうした時代ではない。このことをいかに早く自覚できるのか、これが記者たちやメディアに試されているのである。
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