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意思による楽観のための読書日記

日本中世への招待 呉座勇一 ***

朝日新聞での連載を一冊の本にしたもの。日本中世史は、政治の歴史、戦いの歴史の年次を追った解説に終始しがちな歴史解説を、中世の人々を形作っていた家族や教育、宗教観、生老病死にかかわる価値観、年中行事、最後に中世史をとっつきやすく学べる推薦図書をあげている。筆者は「応仁の乱」の著者で、2020年2月発刊。

家族が氏から家の単位に移行するのが古代から中世にかけての大きな変化であるという。氏族でいえば、古代には蘇我氏や物部氏がいて、家の単位は大家族、男性が婿入する場合もあり、女性がその後嫁として婿の家に入る形態もあった。氏の下に家がいくつもあり、家の集合体が氏、その統括者が氏の長として最高の官位を得る。逆に朝廷から最高の職位が与えられたものが氏を率いることになった。最高の官位を得るものが父でなければ、それを引き継ぐのは現代的な家の単位ではない。

中世になると、父が子に家が持つ有形、無形の財産を引き継ぐ。これが現代でも継承される家と相続の概念となる。中世にはそれが一夫一婦制を前提とした男系長子相続・継承となる。背景にあるのが公地公民の律令制による土地管理が、安堵・恩賞による家に紐付く土地所有への変化であり、土地とそこから得られる収穫物が最大の財産となる。源頼朝の妻になる北条政子、夫は氏族の統率者なので源の頼朝と呼ばれるが、妻は北条家の娘なので北条政子と「の」は付かない。ここが古代と中世の境目となる。

一夫一婦制とはいっても権力者には側室が居た。この時代、前妻が親しい友人と協力して後妻を襲撃する「後妻打ち」という行為があったが、北条政子は頼朝の側室や浮気に厳しく対処、後妻打ちとも思える始末をしている。江戸時代になると後妻打ちはルール化が行われ、前妻離別後ひと月以内に後妻を貰い受けると行われることとなる。襲撃側は大怪我を招くような刃物は使わず、木刀や棒をもって後妻を襲い、後妻側も応戦したという。ここまでは貴族と武士の話。百姓は夫婦別財、夫婦別姓であり、武士の家の考え方は導入されていなかった。離別は妻側からも行え、夫以外の男性との性的関係にもおおらかだったという。しかしそうした女性の権利は南北朝時代以降から次第に制約されていく。武士のルールを定めた「御成敗式目」に密通、不倫などを戒める取り決めがなされ、徐々に百姓にも広まっていたっという。(諸説あり)

中世になると、身分の高い人々の間では、女性もひらかな文字を読み書きした。武士の場合にも漢字は僧侶や身分の高い武士以外では書けず、残された手紙では多くの文字は平仮名である。武士には文武両道が勧められ、武としては弓馬が進められた。特に高い位の武士には和漢の書籍を読むことが求められ、和歌の道も必要とされる。貴族の子の場合には、千字文、蒙求、百詠、和漢朗詠集、中国の歴史書である史記、漢書などを学ぶ。儒学から宋学へと学問がシフトすると、論語、大学、中庸、孟子という四書が中心となる。室町時代になると庶民の子弟も寺院に学びに来るようになる。初年度は習字、二年目には四書五経、三年目には古今和歌集、万葉集、伊勢物語、源氏物語も読む。和歌、連歌、能楽も学んだというから当時の上流階級教育のレベルの高さが伺える。

本書は、こうした中世の貴族、武士階級、百姓階級の庶民の暮らしや行事にまで目を配った歴史入門書である。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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