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意思による楽観のための読書日記

戦国の忍び 平山優 ****

「忍者」と呼ばれるようになる存在は、明治以降の物語や昭和になってからのアニメや漫画で有名になってきた存在。歴史学者に「忍者」はいたのかと問うと、いなかった、と答える人が多いという。室町時代に出現してきた「悪党」は、災害や凶作、飢饉、戦乱などの結果、耕作地を放棄して他所に逃散した百姓やあぶれ者の一部が強盗や盗人になったもの。そうした悪党たちを戦国時代の各勢力は足軽や偵察員、調略要因、待ち伏せ要員、後方かく乱要員、非常勤職員として利用した。その活動は夜間が主で、盗人としての特徴が生かされたため重用され、城の乗っ取りなどでも活躍した。彼らは地方によっては「草」「伏し」「野臥せ」「かまり」そして戦国時代には乱波(らっぱ)、透波(すっぱ)などと呼ばれるようになる。「すっぱ抜かれる」はこれが由来。これらはその後「忍び」と総称して呼ばれるようになる。

伊賀、甲賀の忍びが有名になるのは、その地方の守護統治が崩壊し、多くの「悪党」や、土地を追われ職にあぶれた百姓が武装化し、近隣武将たちに活用されるようになったためで、雑賀の孫市で有名な雑賀衆は鉄砲の使い手としてその腕が買われた。足軽衆が戦国時代の戦闘の中核となると、各勢力は足軽衆として、在地住民を傭兵として雇用するようになり、年貢や公事を免除される特権を与えられる。「忍び」はそうした足軽衆の一部が、夜間活動することを主な仕事とするようになり、戦国時代の重要な戦力となって総称されるようになった名称。

忍びは戦国時代の終焉とともにその存在価値がなくなり、一般民衆や、一部は賭博者や盗賊として生き延びる存在となる。有名な真田十勇士は、関ヶ原の戦いや大阪夏冬の陣で大活躍した真田信繁などを含め、江戸時代に物語化したときに実在した真田の家臣たちを偶像化したもの。その際、忍びの技の使い手として、猿飛佐助、霧隠才蔵などとして物語詩仕立て上げたことから、忍びのものが有名な存在となる。忍者という呼び名はアニメの「少年忍者風のフジ丸」「サスケ」「忍風カムイ」「仮面の忍者赤影」「新八犬伝」「真田十勇士」などで定着する。

本書では、歴史史料を調査して、こうした忍びの存在がどのように記録されてきたのかを検証している。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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