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意思による楽観のための読書日記

日本の歴史を旅する 五味文彦 ***

旅行するときに、その土地の歴史や謂れを知って訪れると楽しみが増えるし、感動や記憶も深く刻まれるのではないか。本書では、いくつかの地方、地域を選んで、「人」芭蕉、連歌師宗長、菅原真澄、若山牧水「山」筑波山、立山、白山、六郷満山「食」讃岐うどん、若狭もの、佐渡の味覚、宇都宮餃子「道」四国巡礼道、山陽道、山陰道、会津街道に分類して解説している。

芭蕉と言えば奥の細道、しかし本書ではその前に執筆した場所とされる近江大津。育った地が伊賀上野で、晩年庵を結んだのが大津の幻住庵、大津は芭蕉にとっては特別な場所だった。大津は天智天皇が都をおき、中世には馬借の根拠地になり、近世には東海道の宿場町として栄えた、つまり交通の要衝であり、文化の交わる場所だった。大津市周辺にあるのは、園城寺、そのそばに大津城、北には近江大津宮跡、その北に宇佐山城跡、膳所には義仲寺、膳所城跡、石山には近江国分寺跡、瀬田橋、石山寺、そして幻住庵。橋は交通の要衝にあり、寺は情報発信地となっている。大津は古代より港湾都市でもあったため、人が集まり、延暦寺の麓の坂本もにぎわった。平家打倒を目指した以仁王と頼政は三井寺の宗徒を頼んで大津に向かったが延暦寺が宗徒として加わらないとわかり、南都興福寺へと向かう途中、宇治で討たれた。室町時代には大津は湊町、一揆がおきると馬借と宗徒が離合集散する地となる。戦国時代の大津は足利将軍にとっての避難地。大津城を築いたのは秀吉で、関ヶ原の戦い後は家康が戦後処理にあたったのも大津城。家康は大津を直轄地として大津奉行を置き、江戸時代にも情報集積地となる。その大津は家康に地代を免除される宿場町として発展、その街に町人として受け入れられたのが晩年の芭蕉である。「行く春を近江の人と惜しみける」。京の隣地にあり、情報発信の拠点ともなったのが大津。地味だが、見どころは多い。

歴史紹介書であり、旅にいざなう旅行書でもある本書、歴史好きなら一読の価値あり。
 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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