この一年で読んだ小説の中で一番面白かった。私がSF好きだということを差し引いても、誰にでもおすすめしたい作品。火星に一人で取り残される「火星の人」を知っているなら、その宇宙旅行版だといっても良い。以下ネタバレありのため注意が必要である。WBCでの日本の勝利を知った上でも、手に汗握り日米戦決勝のビデオを見られる方は以下もどうぞ。
病院の一室のような閉じられた空間で徐々に目覚めた主人公は、自分の名前も今いる場所、そしてなぜこうなったかを覚えていない。同室には自分の世話をしてくれるロボットと、2つのベッドに横たわる死体が二人。物語は、主人公がいる宇宙船の現在と、徐々に思い出してくる過去の経緯が交互に現れ、読者にも状況が分かってくる。過去の経緯が現在起きている状況の説明になり、現在に危機が迫ると、その過去が危機の原因を探り出す手伝いもしてくれるという、巧妙な仕組みが隠されていることに読者も気づく。自分は中学の教師だが、その前は博士号を持つ生命科学者、ライランド・グレースだったこと。そしてなにより、自分は地球が迎えつつある危機を救うために、宇宙に送り出されたことを思い出す。3人で行うはずのミッションを自分一人でできるのか。
科学的アイデアと、危機の回避策が読者をどんどん引き込んでいくのは「火星の人」と同様。太陽から発生したとみられるマイクロ生物が太陽エネルギーを吸収しながら金星で二酸化炭素を補給することで増殖していることが分かり、このままでは太陽光が減少して30年以内に地球上の人類が半減してしまうという危機。アストロ・ファージと名付けられたその生物は、地球に近いいくつかの恒星系でも同様の現象が見られるが、なぜか現象の中心地とも言えるタウ・セチ恒星ではそれが起こっていない。地球上の叡智を集めて原因と回避策が考えられるが、11.9光年離れたタウ・セチに向かい、その現象を調査する以外には回避策が見つからない、という結論。謎の生き物アストロファージそのものが、質量を100%エネルギーに変換する機能を持っていた。その光エネルギー推進により、光速の9割ほどで往復すれば26年後には帰還できるはず。しかし、送り出されたヘイル・メアリー号は質量を軽減させるためタウ・セチに到達できる最小限のエネルギーだけを搭載、同乗者の帰還を想定されていない一方通行の宇宙船だった。人を乗せて帰還することを想定すると、燃料、食料の質量が増すことで地球滅亡に間に合わなくなる可能性がある。最大加速度で帰還するようにセットされ、解決策を載せた無人カプセルをタウ・セチから打ち返すことで帰還を最速化できるという設定。
ライランドが目覚めたのは目的地のそばで、気がつくと同じような目的を持ってここに来たと思える異星人の宇宙船が隣に見えた。ファースト・コンタクトに伴う、異星人とのコミュニケーションとその後が下巻で描かれる。
ライランドが名付けた異星人の名前はロッキー、やってきたのは地球とは全く環境の異なる惑星エリド。ロッキーは26人の仲間と一緒に来たはずだったが、彼以外は降り注ぐ宇宙線により死んでしまったという。しかし、ライランドもロッキーもこの出会いで一人ではなくなった。二人はなんとかコミュニケーションを成立させ、協力して解決策を見つけ、それぞれの生まれ故郷にそれを持ち帰るために奮闘する。2つの文明は相補う発明品を持っていた。地球のPCと想定性理論、エリドのキセノナイトという超材料である。おまけにロッキーは超優秀なエンジニアであり、ライランドはアイデアに満ちた科学者だった。重力や大気組成、食べ物や病気などあらゆる環境の違いがある二人だったが、その違いを乗り越えるアイデアで異星人同士が同じ目的を共有する大親友となっていく。
タウ・セチ恒星系でもアストロファージは活動していたが、その増殖を抑制する存在、それは捕食者の存在。ライランドはそれをタウメーバと名付ける。二人はタウメーバを捕獲して持ち帰れば二人の故郷でも同じことが起きると喜ぶが、なぜか窒素が少しでも存在するとタウメーバは死んでしまうことがわかる。窒素が7割以上ある地球、3.5%の金星、エリドの金星にあたる惑星でも8%存在するため、絶望する二人。しかし、生物学者のライランドは、進化が免疫系を発達させることが利用できるのではないかと実験すると、わずかだが窒素耐性をもつタウメーバが窒素の中でも生き残ることを発見。時間をかけて、窒素濃度が3.5%の金星環境、8%のエリドの金星でも生き残れる進化系のタイメーバを作り出すことに成功する。
ライランドは自分のヘイル・メアリー号が帰還を想定していないことをロッキーに告げると、ロッキーは帰還できる分のエネルギーは、自分の宇宙船にあるという。エリドのエネルギーもアストロ・ファージだったが、26人の同乗者がいなくなってしまい、燃料が大量に余ってしまったのだという。二人は更に協力して、帰還できるように、それぞれの宇宙船を修理、特にロッキーはエンジニアの能力を最大限発揮して、キセノナイトを活用してエネルギータンクを修理し、なんとかライランドとカプセルも載せてヘイル・メアリー号を帰還できる状態にしてくれた。そして二人は別れ、それぞれの故郷を目指すが、物語は最後までハラハラさせてくれる。
タウメーバは窒素耐性を獲得する過程で、エリドの宇宙船の材料でもあるキセノナイトを浸潤する性質をも身に着け、ヘイル・メアリー号内部にも漏れ出して、エネルギー源であるアストロ・ファージを消費し始めた。このままではヘイル・メアリーは飛べなくなってしまう。ライランドは必死で対応策を練り、漏れを抑え込んだ。しかし、同じことがエリドの宇宙船でも起きていることに思いが至る。ロッキーを載せた宇宙船はエネルギー消費の光を出していないことを観測で確認。ライランドは最後の最後で親友を救うことと、地球を救うことの両立策を実行することを決意、それはライランドが地球には帰還できないことを意味した。なぜかといえば、燃料と食料が足りない。ライランドはタウメーバを載せたカプセルを地球に向けて発射、自分は覚悟を決めてロッキーの乗った宇宙船に向かった。ロッキーは親友が自分を救うためにライランドが帰還を諦めたことを知り、ライランドのために死力を尽くすことを決意する。食料ならタウメーバの排泄物が利用できることで解決できる。燃料は?
結論はある意味、それほど明確ではない。太陽系の太陽が発出する光度はもとに戻ったことが確認はできるが、それは全地球が元通りに戻ったことは証明できない。太陽光度が不足してくれば、地球上での食料を巡る争いは激化してくるはず。地球に戻れなかったライランドは、ロッキーとともに帰還したエリドの惑星でそのことを知り、地球の運命に思いを馳せる。物語は以上。
きっといつか映画化されるだろうことは容易に想像できる。読者に想像させてくれる宇宙船や異星人などの描写の具体性から、作者はそのことを想定の上で小説を書いていると思える。ぜひ映画化してほしいが、その前に本書を手にとることの価値を強く訴えたいと思う。