表紙の妊婦写真が印象的な本書。これは油絵だそうで、写実的なこの絵画と縄文時代のシンボリックな土偶妊婦像を対比するために採用したのだとか。本書は筆者の強い主張に満ちている。読者へのメッセージは明確である。狩猟民族である縄文人の価値観は現代人とは大きく異なり、生命への敬意と感謝に満ちていることを理解することが本書理解の前提となる。有名な火焔土器を見て、容器や鍋としては使いにくそうな土器を作った意味はなんだろうと考えるのはやめて、祭祀的使用目的、美的感覚で解釈する必要があるという。土器だけではなく、竪穴式住居、貝塚、土偶、石器などあらゆる生活の道具や環境までもが生命、水、多産、再生などのシンボリズムに満ちているという。
「月」は新月から満ちていって満月となり、また新月に戻る。そしてその繰り返し、つまり誕生と成長、老化、死、そして新たな生命の誕生という人間と動物の生命の象徴である。狩猟民族である縄文人は自分の命のために獲物の動物の命を取ることになるが、そのことに感謝し、また次なる獲物を祈ると同時に自分たちの命の再生も願う。潮の満ち干や世界の水を司る象徴が月であり、その運行周期と同一となる女性の月経、そして妊娠と出産、すべてが月により司られていると考えた。月から水、つまり精液をもたらすのが男根であり、男根の象徴は蛇。蛇は脱皮を繰り返し多産をもたらす。脱皮と冬眠、再生を繰り返すシンボルとされた動物が、蛙、猪、鮫、貝、梟、熊、鯨。鯨は息継ぎ、鮫はその牙や歯列から再生と蘇りを象徴していた。
石器では石斧、石棒が蛇を象徴、石材に多く使われた緑の石は、勾玉にも多く使われた翡翠にも現れる色で、これは樹木の再生を表す。墓場に撒かれた赤色も血の色であり、再生、蘇りを表す。竪穴住居、墓、ストーンサークル、環状土籬、盛土遺構、貝塚は子宮を象徴し、集落の形にさえシンボリズムを見る。何でもかんでも象徴と見るのは行き過ぎでは、と考える向きもあるが、縄文人は合理性よりも、祈りと感謝を重んじた。
土偶の多くが上を向くのは、月を見ているから。土偶の口が丸いのは、月からの水を飲むため。縄文土器に縄の模様があるのは、蛇の交合が再生と多産の祈りの象徴であるからで、貝模様は、貝が女性と月を表すから。縄文土器は鍋ではなく、祈りの道具、土偶は月の象徴である。
縄文人はその後、稲作をもたらす弥生人と混淆していくが、その後の文化にも縄文から受け継がれたものが残る。神社の注連縄は、多産の象徴、蛇の交合であり、サークルの中で執り行う相撲も、ストーンサークルが象徴した祈りと感謝の儀式の名残である。古墳も、その形に月とそこからもたらされる水の道をあらわす、切掛のある円形を容易に見ることができる。甕棺も再生の願いを込めた縄文由来の子宮信仰が廃れていなかったことを示す。アイヌ文化はその多くが縄文文化を引き継いでいる。琉球文化には縄文が見つからない、というが、縄文は採用せずとも、口の部分の突起と線描きで表そうとした蛇の象徴が見られ、北海道での熊に見る再生の願いは、縄文文化の名残である。本書内容は以上。
強い主張をする場合には、とにかく徹底して自分の考えにこだわることが肝要。本書はその主旨にそっている。