宇治十帖の薫、光源氏が晩年に寵愛した女三の宮と、彼女のもとに密かに通った柏木の間に生まれた子だが、光源氏の子として育てられる。源氏は薫が五歳の時に亡くなる。時の天皇は冷泉院であり、先の桐壺帝(醍醐天皇がモデルと言われる)の子であるが実は光源氏の子、そのことを冷泉帝自身もご存知、薫をわが弟として可愛がる。(薫は柏木の子であり異母兄弟ではない)薫はいつも沈んだ面持ち、不思議な萌香を漂わせているので薫と呼ばれる。副主人公格が匂宮、今上天皇の第三皇子で二人は親友である。光源氏が頭の中将と親友でライバルであったのと同じ関係である。
薫が宇治に密かに暮らす八の宮の二人の娘、姉の大君と妹の中の宮に懸想する。大君が相手であるが、大君は妹の幸せを思い、薫に中の宮を手引きしようとする。薫は匂宮に二人のことを自慢して、匂宮はこの二人の存在を知ることになる。結局匂宮は、中の宮を我がものとする。「総角」の巻である。このあと、二人の姉妹と薫、匂宮には波乱の展開が待っている。大君が死んでしまうのだ。薫は大君と中の宮を幸せにすると約束しているため、経済的支援を中の宮に行うが、中の宮を引きとった匂宮は六の君と結婚してしまう。匂宮と疎遠になった中の宮と薫は近づき、中の宮が懐妊しているのに気がついて手を出すのを止める。匂宮が中の宮を訪れた時、中の宮から薫の香りがすることに気づく匂宮。中の宮は薫に浮舟を紹介する。そして薫は浮舟に夢中になってしまうのだがそれは大君に似ていたから。
そして匂宮はその浮舟ことも知ることになり、居ても立ってもいられない。浮舟に接近、物にしてしまう。二人から言い寄られる浮舟は思い余って失踪、自殺するが、未遂に終わって助けてもらった寺で落飾する。浮舟がいなくなって薫は探しまわるがみつからない。薫は女二の宮と結婚する。そしてある時、浮舟がある山寺にいることを知り、少年を使いにやるが、浮舟は会おうともしない。薫は浮舟が誰か他の男に隠されているのではないかと疑う、自分も宇治に隠したように。とこうして、宇治十帖は終わる。薫の世俗化と浮舟の清らかな美しさが対比されて終わるのだ。物語の最初にはあんなにも聡明清楚だった薫が卑俗矮小な人間になって遠く霞んでいく。田辺聖子はこう締めくくる。「紫式部は正編では男と女の深い距離を描き、続編では仏性と俗のからみと輝きを描いたのだろうか」。
光源氏は女三の宮を晩年愛していたが、柏木に裏切られた。しかしそのことで女三の宮や柏木を責められるかと考え、黙っていることにしたのだが、その時初めて気がつく。桐壺帝も自分が藤壺と通じていたことをきっと知っていたのだと。ぎょっとして初めてその時気がつくのだ。桐壺院の印象がここで崩御してから20年もたって新しいイメージとして読者の前に現れる。「さばけた粋人」その上で光源氏を死ぬまで贔屓にしてくれたのである。光源氏よりも大きな人、紫式部は桐壺院に光源氏との対比という重要な役割を与えた、という筆者の考えだ。
頭の中将、蔵人頭であり近衛中将、ということで頭の中将と呼ばれる。二人はことある毎にライバルと成ることは有名。頭の中将の愛人夕顔が姿を隠した後、これを見つけて愛人にしたのは光源氏。顔も見ないのに競いあって通いつめた果てに会ってみたら好みではなかった末摘花。57才にもなる源内侍に二人で手を出し、同じ時間に鉢合わせてやり取りする二人。ここまでは青春物語であるがこのあたりからは波乱万丈である。頭の中将の妹葵の上と光源氏は結婚するが、うまくいっていない。しかし葵の上が死ぬ直前には心が通ったというが遅すぎる。そして桐壺院が崩御して後ろ盾が亡くなった源氏は冷や飯を食わされ、朧月夜との密会を見つかってしまい須磨に追われる。頭の中将は失意の源氏を須磨に訪ねる。しかしその後源氏にも再び運命の女神が微笑む。光源氏は内大臣として、頭の中将は摂政太政大臣として政権に返り咲くのだ。今度は頭の中将とは政治的ライバルとなる。誰を帝の后にするか、東宮を産ませるかという戦いである。
頭の中将は弘毅殿の女御を入内させ、光源氏は六条御息所の娘で斎宮となっている姫君、秋好である。秋好には絵の才能があり幼き帝に手ほどきをして手懐ける。頭の中将はもう一人の娘雲居雁を入内さようとするのだが、雲居の雁は源氏の息子夕霧と可憐な恋をした相手である。夕霧との浮名がたって入内はうまくいかない。
そして夕顔の忘れ形見玉鬘、光源氏が引き取るが、結局鬚黒の大将の夫人となる。
頭の中将の長男柏木、女二の宮を嫁とするが日に日に弱っていく。柏木は女三の宮に苦しい恋をして若い命を散らせてしまうのだ。光源氏にも悲劇が訪れる、紫の上が死ぬのである。光源氏と頭の中将の二人はお互いの悲劇を見舞いあう。
こうして男たちを見ていくことで源氏物語のフレームワークが分かるようである。紫式部はなにを描きたかったのか。恋物語、政治権力争い。生老病死以外に恋もあるということ、それとも恋は生の一部なのか。登場人物は人生曼荼羅を織りなす一本の糸だと田辺聖子は書いている。恋も嫉妬も、艶やかに見えても醜くてもそれは人間そのものにすぎないと。
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