意思による楽観のための読書日記

羊と鋼の森 宮下奈都 ***

北海道の高校のピアノの調律に来た板鳥さんに偶然出会った、当時高校生だった外村直樹が、自分のやりたいことはこれだ、と思いこんで調律師になりほんの少し成長する、という物語。ピアノの仕組みとして、ハンマーで鋼鉄線を叩いて音を出すのだが、ハンマーの先についているフェルトの材料が羊毛、そして鋼鉄線が鋼。外村が育ってきた北海道の村には森があって、そこでそれまで森の空気を吸って自然の中で暮らしてきた。だから、調律師を目指してピアノに初めて触ってみて感じたのが、森のような存在であるということ。それは楽器自体も、そしてそれに関わる調律師やピアニストも含めて、自分が今まで生きてきた森のように自分を取り囲んでくる存在だということ。実際、ピアノの鋼鉄線は88鍵それぞれに2-3本ずつ張られているので、調律に打ち込んでいるとそれらが森のように自分に立ちはだかるようにも見える。

外村は出会った板鳥にすぐに弟子入りを訴えるが、まずは専門学校で勉強しなさいと諭され、なんと高校を卒業して調律の専門学校に入学してしまう。苦労しながらもなんとか調律の最低限の技術を学んだ外村は学校を卒業、板鳥のいる江藤楽器で働くことになる。ここまでは至って単純かつスムーズな展開。山谷はない。板鳥は才能溢れた調律師で、板鳥がいるためにその大きくもない街にわざわざ外国の著名なピアニストがコンサートを開催するために訪れるほど。外村は板鳥に憧れる。調律師の先輩は板鳥以外にも、優しく親切に外村に教えてくれる柳、意地悪な事を言って外村をいじってくる秋野がいる。

外村は板鳥に出会うまでは、ピアノに興味を持ったことも触った事もなかった。特に自分に才能があるとも感じない中で選んだ道であるが、どうも無欲の努力家、というのが調律師には必要な才能だったようだ。調律をする中で出会うお客様とのふれあいの中で、調律とは単にピアノの音程を正しく調整するだけではないことに気がつく。ピアノを弾く人というのは、上手い弾き手はもちろん、そんなに上手ではなくても自分がイメージする好きな音を持っていて、それを上手く調律師に伝えられない場合も多い。そんなときは調律師側がそれを実際の調律のプロセスで探っていくことになる。やり直し、再調整、出入り禁止などの経験をする中で、どんな顧客にも素直な姿勢で要望されている音を見つけて示すこと、これが「お仕事」だと考えるに至る。そのために、外村は事務所にある何台かのピアノを何度も何度も調律してみる。そんな外村を知った先輩たちは、無欲の努力家である外村を評価していく。外村はピアノの調律を自分が育った森のなかに感じていたことに重ね合わせる。

板鳥は外村に原民喜という小説家の言葉を教える。「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少し甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが、現実のようにたしかな文体」 これがまさに板鳥が目指している音だというのである。原民喜、この小説を読むまで知らなかったが、「ガリバー旅行記」を翻訳した小説家だそうである。それならきっと自分も読んだはず。

登場人物に悪いやつや強欲人間は出てこない。外村も欲とは無関係に思える純朴な青年。板鳥や柳、そして皮肉屋の秋野でさえも実は外村の努力を買ってくれるという理想的な上司に囲まれ恵まれた職場環境。女性的な叙述、主人公の青年も中性的、晴れた夏の夜明けのキャンプ場で目覚めたあとに、鳥のさえずりを聞きながら、爽やかな野菜ジュースを一息で飲み干したときのような気持ちの良さ。悪いところはなにもない。読んだあとのフィーリングとしては、小川洋子の「博士の愛した数式」や宮本輝の「青が散る」、三浦しをんの「舟を編む」という感覚が近いのかと思う。血と汗と涙、いずれも感じない青年の成長物語、食い足りないと思う読者もいるだろうが、第13回本屋大賞作品である。 

羊と鋼の森 (文春文庫)


↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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