今は何でもスマホで調べられる。調べたいそのものの検索性能は問題ないが、調べたその隣にたまたま書いてある記述を読んでみてなるほどと思う、なんてのはやはり紙の書籍。
先日、方丈記の内容が見たくて本書を手に取り、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と見ていると、その隣に方丈記に記述された五大災厄である安元の大火、治承のつむじ風、福原遷都の災難、4万2千人の死者を出した養和の飢饉、元暦の地震のことが書いてあって、まるで今年の夏の日本のような風災害が13世紀の時代にも大きな災害が西日本を襲っていたことがわかる。そして鴨長明の後半生は不幸の繰り返し、大原に隠棲したあとに日野の法界寺の方丈の庵に移住したので「方丈記」の名が定着したと。法界寺といえば宇治の実家に滞在する期間、ウォーキングのコース上にある。日野の誕生院として親鸞誕生の地と思っていたが、鴨長明もいたのだと気がつく。
そういえば実家の片付けをしていると、母がしたためた書が出てきた。「仏は常に在せども、現ならぬぞあはれなる、人の音せぬ暁に、仄かに夢に見えたまふ」調べると梁塵秘抄の一節である。今様と呼ばれる各種の謡い物とか雑藝(ぞうげい)などの集めたものが梁塵秘抄だと。白拍子が踊りを踊るときに歌われた「当世風謡い」であり、当時古臭いと考えられていた催馬楽や朗詠に比べて今風という意味らしい。その記述の隣には日本の歌謡の歴史がまとめられていて、昔は神社で奉納された神楽歌があり、短歌を二部に分けて歌ったが、東遊歌は東国の民謡だったのが神前歌舞に使われだしたとある。それに対し近畿地方で歌われたのが催馬楽で貴族の遊宴歌謡として流行した。催馬楽には恋の歌や滑稽、風刺歌もあったというが、朗詠は漢詩や和歌に曲節をつけたもの、それらを集めたものに「和漢朗詠集」があり、その後出てきたのが今様、となる。
百科事典と同じで、調べたその隣の記事を読んでちょっと知った気になる、ということで、スマホで調べるのとは少し違う。630円でこれが手に入るなんて驚き。一家に一冊あってもいいんじゃないか。