昨日、東京オペラシティに見に行ってきました。
ニコラウス・アーノンクール指揮、ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス。
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巨匠アーノンクールが一生かけて追求する、
古楽器(ピリオド楽器)による古典音楽のリアルで瑞々しい再生。
その時代の音楽は、その時代の楽器を使ってこそ、最も説得力を持つという考え方。
見たことないような、スライドトランペットや、ずんぐりしたコントラバス、
でっかい南瓜のような可愛いティンパニなどなど。
見ているだけで楽しい。
弦楽器は、基本的に金属弦でなくガット弦を張っており、
シャープさや音量で劣るものの、やさしく味わいのある音色。
現代のオーケストラとは明らかに異質の、懐かしく暖かい音世界でした。
僕がアーノンクール師を敬愛するのは、けっして古楽器を使っているからではなく、
楽器を含めた「こだわり」の人だから、であります。
指揮者というのは、指揮する作業は最後の締めであって、
音楽監督あるいは演出家という役割が一番大事なところです。
師は、この曲をやると決めたら、その曲に最もふさわしく最も魅力が生きるであろう
テンポ設定や細かいアーティキュレーションを、こだわりを持って楽団員にディレクションをする。
師によって脚色された楽曲は、作者の魂を甦らせ、
聴く者の琴線をゆさぶる、活き活きとしたものに生まれ変わります。
東京で6日間あった公演の最終日だった昨日の演目は、モーツァルト特集。
セレナード第9番「ポストホルン」と
交響曲第35番「ハフナー」。
どちらも、曲の生い立ちに「惜別」のテーマを持った曲。
そう、今年80歳、「これが最後の日本公演」と師は宣言。
日本の音楽ファンとの最期を惜しむ、素敵なプログラムです。
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最初にアーノンクールさんが登場してくる。
長身。そして一度見たら忘れないあのいかつい顔立ち。
もう、カラヤンもベームもチェリビダッケもクライバーもジュリーニもこの世にいない中、
20世紀の巨匠と呼べるほんの少数の大物のひとりが、
なんともありがたいことにそこに立っている。(僕の席は2列目)
顔立ちはいかついけど、そんなに威圧感はなく、団員との信頼感と愛情がよく伝わってくる。
そして楽曲に対する愛情とこだわりも、ビシビシ、伝わる。
アーティキュレーションが、半端でなく繊細に脚色されて、
作者のモーツァルトも草場の陰でビックリしているのではないだろうか。
そして、プログラム終了後、鳴り止まぬアンコールに応えて
予定外の短い曲(これもモーツァルト)を演奏。
楽団員が全員ステージから去っても、名残を惜しむファンの拍手が更に熱を帯びてくる。
師はそれに応えて何度もお一人でカーテンコール。
客席のファンはみんな、最前列に駆け寄って、
至近距離でアーノンクールさんに拍手を贈り、「ブラボー!!」と叫び続ける。
にこやかな笑みをたたえながらも、日本のファンと最期の別れを惜しみ、
2階席3階席のお客さんにも手を振り、語りかける師。
クラシックのコンサートには珍しい、アイドルの公演のような光景です。
感動しました。
昨日はホントに、行ってよかったです。
ありがとう、アーノンクールさん。
ニコラウス・アーノンクール指揮、ウイーン・コンツェントゥス・ムジクス。
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巨匠アーノンクールが一生かけて追求する、
古楽器(ピリオド楽器)による古典音楽のリアルで瑞々しい再生。
その時代の音楽は、その時代の楽器を使ってこそ、最も説得力を持つという考え方。
見たことないような、スライドトランペットや、ずんぐりしたコントラバス、
でっかい南瓜のような可愛いティンパニなどなど。
見ているだけで楽しい。
弦楽器は、基本的に金属弦でなくガット弦を張っており、
シャープさや音量で劣るものの、やさしく味わいのある音色。
現代のオーケストラとは明らかに異質の、懐かしく暖かい音世界でした。
僕がアーノンクール師を敬愛するのは、けっして古楽器を使っているからではなく、
楽器を含めた「こだわり」の人だから、であります。
指揮者というのは、指揮する作業は最後の締めであって、
音楽監督あるいは演出家という役割が一番大事なところです。
師は、この曲をやると決めたら、その曲に最もふさわしく最も魅力が生きるであろう
テンポ設定や細かいアーティキュレーションを、こだわりを持って楽団員にディレクションをする。
師によって脚色された楽曲は、作者の魂を甦らせ、
聴く者の琴線をゆさぶる、活き活きとしたものに生まれ変わります。
東京で6日間あった公演の最終日だった昨日の演目は、モーツァルト特集。
セレナード第9番「ポストホルン」と
交響曲第35番「ハフナー」。
どちらも、曲の生い立ちに「惜別」のテーマを持った曲。
そう、今年80歳、「これが最後の日本公演」と師は宣言。
日本の音楽ファンとの最期を惜しむ、素敵なプログラムです。
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最初にアーノンクールさんが登場してくる。
長身。そして一度見たら忘れないあのいかつい顔立ち。
もう、カラヤンもベームもチェリビダッケもクライバーもジュリーニもこの世にいない中、
20世紀の巨匠と呼べるほんの少数の大物のひとりが、
なんともありがたいことにそこに立っている。(僕の席は2列目)
顔立ちはいかついけど、そんなに威圧感はなく、団員との信頼感と愛情がよく伝わってくる。
そして楽曲に対する愛情とこだわりも、ビシビシ、伝わる。
アーティキュレーションが、半端でなく繊細に脚色されて、
作者のモーツァルトも草場の陰でビックリしているのではないだろうか。
そして、プログラム終了後、鳴り止まぬアンコールに応えて
予定外の短い曲(これもモーツァルト)を演奏。
楽団員が全員ステージから去っても、名残を惜しむファンの拍手が更に熱を帯びてくる。
師はそれに応えて何度もお一人でカーテンコール。
客席のファンはみんな、最前列に駆け寄って、
至近距離でアーノンクールさんに拍手を贈り、「ブラボー!!」と叫び続ける。
にこやかな笑みをたたえながらも、日本のファンと最期の別れを惜しみ、
2階席3階席のお客さんにも手を振り、語りかける師。
クラシックのコンサートには珍しい、アイドルの公演のような光景です。
感動しました。
昨日はホントに、行ってよかったです。
ありがとう、アーノンクールさん。