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志位議長の新春インタビューに関連して

2025年01月09日 15時23分27秒 | 一言

被爆者の役割と「人道的アプローチ」

 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞をうけて、迎えた被爆80年。「核兵器のない世界」へさらなる前進が求められるなか、日本共産党の志位和夫議長の新春インタビュー(本紙1月1日付、以下「インタビュー」)は、核兵器禁止条約を実現する力となった被爆者の役割と「人道的アプローチ」という新たな議論を解明しました。(日本共産党平和運動局長 川田忠明)


2010年 NPT再検討会議 人間の血が通った議論へ

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(写真)ニューヨークの国連本部ロビーで日本被団協の原爆展テープカットに参加する志位委員長(当時、右から4人目)=2010年5月3日(林行博撮影)

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(写真)ノーベル平和賞を受賞した(左2人目から右へ)日本被団協の田中熙巳(てるみ)、田中重光、箕牧智之(みまき・としゆき)各代表委員=2024年12月10日、オスロ市庁舎(加來恵子撮影)

 インタビューで志位議長は、自身も参加した2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議(ニューヨーク、国連本部)で、被爆者の活動が大きな反響を呼んだことを振り返っています。そして、全会一致で採択された最終文書が、「核兵器のいかなる使用も人道上壊滅的な結果をもたらすことに深い懸念を表明(した)」と明記したことに注目しました。核保有五大国も参加するこの会議が、核兵器の非人道性に言及したのは初めてでした。これを重要なきっかけとして、「それまでもっぱら安全保障の観点から行われてきた核軍縮交渉を、核兵器の非人道性に光をあてた議論――いわば生きた人間の血が通った議論へと発展させたのです」(志位氏)。

 この議論は、「人道的アプローチ」(あるいは「人道的イニシアチブ」)と呼ばれ、人々の心をとらえ、急速に支持を広げていきました。12年には、核兵器の非人道性に焦点をあてた国際声明(「人道声明」)が16カ国の連名で発表され、34カ国が署名しました。その後、13年4月には80カ国、10月に125カ国、14年155カ国、15年159カ国と、急速に賛同が広がっていったのです。

13年~14年 非人道性深める国際会議

 反核運動にとってヒロシマ・ナガサキは原点ですが、国際政治もようやく、被爆の実相を知り、核使用の深刻な被害を深める努力を初めました。3回(注)にわたって核兵器の「人道的結末に関する国際会議」が開催され、被爆者が証言をおこない、医学的、社会的、精神的な被害、次世代への影響などの多面的な研究報告がされました。第2回会議議長のメキシコが発表した総括はこう述べました。

 「核兵器を禁止するという目標を達成するための外交を開始するときが訪れたと考える。(中略)人道配慮を核軍縮の本質とすべきだ。今こそ行動を起こすときだ」

 被爆者の訴えなどによって、各国政府は核兵器を禁止する決意を固めていったのです。

 (注)13年3月(ノルウェー、オスロ)、14年2月(メキシコ、ナヤリット)、同年12月(オーストリア、ウィーン)

15年 NPT再検討会議 非核兵器国「人道の誓い」

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(写真)ニューヨークの国連本部で開かれた「核兵器禁止条約の国連会議」で演説する志位委員長(当時)=2017年3月29日(遠藤誠二撮影)

 この年の会議には、50人近くの被爆者代表団が参加し、国連本部での原爆展、証言活動、政府代表への要請など精力的に活動しました。

 アメリカ、イギリスなどが反対して、最終文書は採択できなかったため、核兵器国への批判が高まりました。そして、多くの非核保有国は、現状を突破する新たな行動に出ました。「人道的アプローチ」から核兵器の禁止をめざす共同声明「人道の誓い」が107カ国の連名で発表されたのです。米国メディアは、これを「市民社会と107カ国による蜂起」(ワシントン・ポスト15年5月22日付)と報じました。

16年 オープンエンド作業部会 禁止条約交渉会議を決定

 インタビューでは、15年の国連総会で「人道的アプローチ」の流れにそった四つの決議が採択されたと述べています。四つの決議とは、(1)「人道声明」(2)「人道の誓い」(3)核兵器の倫理性(4)オープンエンド作業部会設置―です。このなかでオープンエンド作業部会とは、核兵器の非人道性を土台に、さまざまな意見の国が参加して、核兵器禁止のあり方を議論をし、探求しようとするものです。

 被爆者も市民社会の一員、正式の構成員として参加しました。その発言は、「人道的アプローチ」の国々を励まし、禁止条約の交渉を決断させたのです。アイルランド代表は、こう述べました。

 「(被爆者の証言で)すべての抽象的な議論は空虚な響きしか持たなくなり、われわれはこの恐ろしい兵器がもたらす悲惨な現実に打ちのめされた」

 作業部会は、核兵器禁止の「協定を交渉するための会議」の開催を国連総会に勧告し、禁止条約の国連会議開催が決まったのです。

17年 禁止条約の国連会議 被爆者の「巨大な後押し」

 禁止条約に向けた国連会議に2度にわたって参加した志位議長はインタビューで、被爆者の活動が「核兵器禁止条約の成立という歴史的成果への巨大な後押しとなった」と述べています。

 それは条約の文言にも反映されました。ひとつは「核兵器使用の被害者(ヒバクシャ)および核実験の被害者にもたらされた容認しがたい苦難と損害に留意し(た)」こと。もうひとつは、「非政府組織、宗教指導者、国会議員、学術研究者、ヒバクシャの取り組みを認識し」と述べた部分です。被爆者の貢献が深く刻まれた条約となったのです。

 今日、被爆者の活動と「人道的アプローチ」がますます重要となっています。インタビューでは、昨年の国連総会で、決議案「核戦争の影響と科学的研究」が、圧倒的多数で採択されたことを紹介しています。

 これは、最新の科学的知見と技術で、核戦争の被害、全世界的影響を明らかにする専門委員会をつくろうというものです。その研究結果は、被爆者の証言とあいまって、核使用の重大さを、いっそう深く認識させ、「現在の危機的事態を打開し、『核兵器のない世界』にすすむうえで大きな力になる」(志位氏)に違いありません。

被爆80年 政府はふさわしい行動を

 唯一の戦争被爆国である日本政府は、ヒロシマ・ナガサキの悲惨さ、非人道性を認めざるをえません。一方、アメリカの「核の傘」=「核抑止」政策は、いざとなったら核を使用して、その惨状を再現するというものです。「人道的アプローチ」は、この根本的な矛盾をうきぼりにしています。被爆80年に日本政府がすべきことは、「核の傘」から抜け出て、核兵器禁止条約に参加することです。



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