昨年のブラジルへの旅を
「ふかまちのまど」に書かせていただくことになりました(^^)
ちょっと早いですが5月1日発行分。
昨日、入稿しました(^^)
森とともに生きる③
ブラジル滞在中、森林を守りまた再生する取組みに参加しました。
1つは「ブラジル・ニッポン移住者協会」の皆さんが中心となって各地で進めておられる「日伯友情の森・21世紀の森」づくり。サンパウロ市内の広~い公園に、地元の小中学生や移住者の方と一緒に54種2千本の苗木を植えました。三原で働いていた、三原の学校に通っていたという年配の方もおられ、とても懐かしがっておられました。ブラジルという土地柄の影響でしょうか、すぐに踊りが始まったり、日本から移住された皆さんはとても陽気でパワフルです!
アマゾン河口で訪れたのは「アマゾンの百姓」こと長坂優さんの農場。1965年、25歳でアマゾンに入植された長坂さん。一緒に移住した12人の日本人が深い森の中14kmごとに車から降ろされ斧1本での開拓。当時のお話は本当に過酷な様子が伝わるもので、病気になったり発狂したり生き残ったのは長坂さんお1人だそうです。その苦難を乗り越えたから明るく面白いのか、その明るさがあったから乗り越えられたのか、講演中や作業中ずっと冗談を言われ、たくさん笑わせてもらいました。農場をどんどん広げていた入植8年目、ある出来事がきっかけで植林を始め、また移動農業が一般的であるアマゾンで定住農業・空間農法を始めたそうです。現在、1年の半分はアマゾンの現状と森林保護の必要性を日本全国で説いておられます。「1本は毎日吸っている自分の空気のため、2本目は家、家具のため、3本目は紙やパルプ製の日用品のため、4本目は子ども・孫世代のため、そして最後の1本は木を植えることができない貧しい方たちのために、1人5本の植林を。この5本の木を漢字にすると「森林」という言葉になります」と。
写真:アマゾンの土は痩せていて植林の前の土づくりが大変!!!
私は紫イッペーの木を植えました!
文字数制限があり「ふかまちのまど」には書けませんでしたが、
長坂さんが植林を始めるきっかけとなった「ある出来事」を知りたい方は、
こちら↓↓へジャンプ!!!
http://murmur.frame-works.co.jp/eco/05.html
murmur magazine リレー・エコ連載第5回「アマゾンで木を植える」
「ふかまちのまど」に書かせていただくことになりました(^^)
ちょっと早いですが5月1日発行分。
昨日、入稿しました(^^)
森とともに生きる③
ブラジル滞在中、森林を守りまた再生する取組みに参加しました。
1つは「ブラジル・ニッポン移住者協会」の皆さんが中心となって各地で進めておられる「日伯友情の森・21世紀の森」づくり。サンパウロ市内の広~い公園に、地元の小中学生や移住者の方と一緒に54種2千本の苗木を植えました。三原で働いていた、三原の学校に通っていたという年配の方もおられ、とても懐かしがっておられました。ブラジルという土地柄の影響でしょうか、すぐに踊りが始まったり、日本から移住された皆さんはとても陽気でパワフルです!
アマゾン河口で訪れたのは「アマゾンの百姓」こと長坂優さんの農場。1965年、25歳でアマゾンに入植された長坂さん。一緒に移住した12人の日本人が深い森の中14kmごとに車から降ろされ斧1本での開拓。当時のお話は本当に過酷な様子が伝わるもので、病気になったり発狂したり生き残ったのは長坂さんお1人だそうです。その苦難を乗り越えたから明るく面白いのか、その明るさがあったから乗り越えられたのか、講演中や作業中ずっと冗談を言われ、たくさん笑わせてもらいました。農場をどんどん広げていた入植8年目、ある出来事がきっかけで植林を始め、また移動農業が一般的であるアマゾンで定住農業・空間農法を始めたそうです。現在、1年の半分はアマゾンの現状と森林保護の必要性を日本全国で説いておられます。「1本は毎日吸っている自分の空気のため、2本目は家、家具のため、3本目は紙やパルプ製の日用品のため、4本目は子ども・孫世代のため、そして最後の1本は木を植えることができない貧しい方たちのために、1人5本の植林を。この5本の木を漢字にすると「森林」という言葉になります」と。
写真:アマゾンの土は痩せていて植林の前の土づくりが大変!!!
私は紫イッペーの木を植えました!
文字数制限があり「ふかまちのまど」には書けませんでしたが、
長坂さんが植林を始めるきっかけとなった「ある出来事」を知りたい方は、
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http://murmur.frame-works.co.jp/eco/05.html
murmur magazine リレー・エコ連載第5回「アマゾンで木を植える」
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