松ちゃんの『やりっ放し やられっ放し』

あなたが気になりだしてから 世界が息づいてる(松任谷由実『緑の町に舞い降りて』より)

旅の記録『7』~修【善】寺はその昔、修【禅】寺~

2006-08-14 08:23:25 | Weblog
どうも☆もう一ヶ月強前の事なので、思い出すのが難しく

でも、折角あれだけペダルをこいだ思い出は書き起こしておかなきゃとは思うのですが
その義務感からか、最近は少しだけ…苦痛でさえあります。

さて自転車旅行7日目は、新富士駅~沼津~韮山~修善寺です。
前日の登山のせいで、1日療養に充てても、なんか歩きにくい状態で
#17君と別れた新富士駅をAM3:00頃、東に向いて出発したのです。

独りでした。
分かってたんです。
(新富士以降は東京まで独りだなって)分かってたんですけど
もの凄く、独りでした。その独りさったらなかったです。

兎に角、早朝には沼津にはついて休憩でもして、写真の現像もあるということで
こぎました。
車にかなり迷惑をかけながら
でも、こぎました。
約20㌔くらいか?

本当に深夜なので、灯りも少なく
でも
迷惑かけたバイパスからは
左手に、遠く、黒い山と、その麓に光が点々と灯る町(富士市)が静かに寝息を立てて、棲んでいました。
でも、なんか暖かそうでした。すこし頑張ってでも遠く光っている町に入っていきたいと思いました。
なんか、悲しかったです。わけもなく。

予定通り、早朝、空気が藤色に染まってきたくらいには沼津に着いておりまして
沼津駅前のインターネットカフェなどに入り、休憩をしばし。
3時間後に店を出た時は、すでに街も動き出していました。
携帯電話やらパソコンなどを駆使してやっと写真屋を見つけ出し
溜まりに溜まった写真のデータをCD-Rに焼いて貰う。
多すぎてデータのコピーに1時間程かかるというので
近くの本屋があるらしい、早速向かいました。

前日の温泉旅館施設で「あの戦争は何だったのか」(保坂正康著)を読了していたので
新しい本でも買おうかということで
~なぜかこの頃、遠藤周作の本をまた読みたいと疼きだしていました。
   特に、内容的には戦争モノ、残酷さを欲していました
    これだけこぐと、物欲でも性欲でもなく、そういうモノを欲するようになる事も分かりました~
そして【戦争末期、九州帝国大学付属病院内での米軍捕虜の生体解剖事件】を題材にした
『海と毒薬』を手にしたのです。
「あっ、これ、面白そうだな」ではなく、店に入るなりその本の許へ一直線に向かったのです。

私のその時の精神状態には、本能的にそういう残酷性を求めることで、安定したのも確かです。
異常ではありません。
買うと、店の入り口に設置してあったベンチに座って読んでたのです。ハマリマシタ。
(悠長に読んでいる暇などなく、この本を読み終えたのは東京に着いて数日後の午後。)
本の話はこれで終わり名古屋です。興味がある人は是非読んでみてください。貸しません。
CD-Rを受け取ると
このまま西伊豆に出て早々と東京に向かうのか。
中伊豆の韮山の反射炉、修善寺を目を通してから西伊豆に向かうのか。
後者はかなり遠回りするので後者にしました☆

沼津市を抜けて三島、を通り、伊豆の国市へ!!
この日は、お日様が出てたのか出てなかったのか知りませんが
兎に角、眩しい、暑い日でして
所々ちゃんと2Lの水を買っては飲み、買っては飲みで
倒れたりはしませんでした。
約20㌔程走ると、中伊豆の平野が南北に広がり
その真ん中を通る主要幹線国道の歩道をずぅ~っと、私は走っていたのです。
もうそろそろ韮山町に入り、町の東に外れる道へ逸れました。

そこから2㌔も走らないうちに、日本史の資料でも見た「反射炉」が、だんだん近づいてきました。
そう!この反射炉を見るためにワザワザ遠回りしているのです。
韮山の反射炉というのは…
~江戸時代末期に国防を目的に幕府は大砲を造る事を急ぎました。
   その大砲の砲身(筒)を鋳造する時に必要なのが、この反射炉でして
      当時としては画期的な高温の熱を発生させる事を可能にしたのです~
拙い説明でスイマセン↓

その反射炉の製造に成功したのが、江戸太郎左衛門という人物でして…
【太郎】にまだ【左衛門】を付ける、それはそれは立派な欲張り奉行なのです。
反射炉の、その大きさにビツクリし(資料の写真では大きさが伝わってない!)
反射炉が、木造でないことにビツクリし(資料の写真を見る限り、木造のような様相を呈している)
反射炉の仕組みを聞いてビツクリし(資料だけでは、反射炉が何なのかよく分かっていなかった…)
兎に角、一見は百聞し如かずとはこの事なのだと実感したのであります!

韮山で1時間程過し、さらに15㌔くらい南下すると…
そこは、鎌倉幕府第2代将軍・源頼家が幽閉された『修善寺』
桃太郎電鉄では、なかなか買えない物件が多い『修善寺』
昔は【修禅寺】、『修善寺』
やはり、この日も観光客が多く、私もone of them なのでした☆

ここ『修善寺』はとても良い、善い、好い処でした。
箱湯という木の浴槽のみの小さな銭湯に入り
竹林と、小川と、頼家の墓と、修禅寺と…
(地名は『修善寺』ですけど、中心の寺の名前は『修禅寺』なのです。)

わずか23歳という若さで入浴中に暗殺された源頼家。
北条政子の菩提寺や、それこそ頼家の墓や、その頼家を守り死んでいった十数人の烈士の墓を
見て回りましたが…本当に、可哀相というより、なんか…寂しくなりました。

政争で死ぬという事が日常茶飯事だった昔に比べて、今は人間も賢くなったのか、そういうことは
無くなりました。なのに…一瞬「カッ」としただけで親を、子を殺してしまう事件が今では日常茶飯事で

そう考えると、やっぱり人間(日本人)は馬鹿なままだと思うし、だから、寂しいと思えたのかも。