事実
高知・高知駅前~愛媛・五十崎(いかざき)町までの徒歩の旅の1日目の最後に辿り着いたのは…
梼原街道沿いの道の駅でした。午後7時くらいだったかと思います。
しかし、道の駅は既に閉まっており、施設の裏にあるベンチにバッグをマクラにして寝付きました。
が、2,3時間くらいで
あまりの寒さで、目は覚めたのです。
本当に刺す様な寒さ、否、冷たさは痛かったです。
それはそう、朽木(くちき)峠を越えて街道に合流して以来
常に、甘い傾斜にしても登りは登りでした。
よって、標高5,600メートルくらいだったかと思います。
しかも、運の悪い事に、それまでの暖冬が嘘のように「冬の寒さ」の来始め…
完全に5℃以下だったかと…
でも、ここまで来ちゃってますし、どうにもなんないしぃ
現実、僕という物体が高知の山の中にあるという、俗に言う『現実』ですよね。
だから、起き上がって密室を探しました。
電話BOXがありました。
しかし、電話BOX内は、下の隙間から寒流が流れ、変わらず寒く
でも、そこで2,3時間は無理やり寝ながら過しました。
でも、温まらずで、近くの神社じみた祠(ほこら)があり、そのすぐ隣に掘っ立て式の物置がありました。
だから、そこに約1,2時間「体育座りing寝」と「胡坐をかいて寝」を繰り返し
寒さですくんで背中・肩の筋肉が緊張し、座り寝で腰を痛め
無理やり横になり4,5時間なんとか、やっと安静な体勢で寝付いたのです。
この夜の月も綺麗は綺麗でしたが、その前日の月を観賞するような余裕はなく
僕の苦しみも知らずに、いつまでものん気に輝いている月は、憎らしくもありました。
すいません。しかし、寒かったのです。でも、すいません。
高知・高知駅前~愛媛・五十崎(いかざき)町までの徒歩の旅の1日目の最後に辿り着いたのは…
梼原街道沿いの道の駅でした。午後7時くらいだったかと思います。
しかし、道の駅は既に閉まっており、施設の裏にあるベンチにバッグをマクラにして寝付きました。
が、2,3時間くらいで
あまりの寒さで、目は覚めたのです。
本当に刺す様な寒さ、否、冷たさは痛かったです。
それはそう、朽木(くちき)峠を越えて街道に合流して以来
常に、甘い傾斜にしても登りは登りでした。
よって、標高5,600メートルくらいだったかと思います。
しかも、運の悪い事に、それまでの暖冬が嘘のように「冬の寒さ」の来始め…
完全に5℃以下だったかと…
でも、ここまで来ちゃってますし、どうにもなんないしぃ
現実、僕という物体が高知の山の中にあるという、俗に言う『現実』ですよね。
だから、起き上がって密室を探しました。
電話BOXがありました。
しかし、電話BOX内は、下の隙間から寒流が流れ、変わらず寒く
でも、そこで2,3時間は無理やり寝ながら過しました。
でも、温まらずで、近くの神社じみた祠(ほこら)があり、そのすぐ隣に掘っ立て式の物置がありました。
だから、そこに約1,2時間「体育座りing寝」と「胡坐をかいて寝」を繰り返し
寒さですくんで背中・肩の筋肉が緊張し、座り寝で腰を痛め
無理やり横になり4,5時間なんとか、やっと安静な体勢で寝付いたのです。
この夜の月も綺麗は綺麗でしたが、その前日の月を観賞するような余裕はなく
僕の苦しみも知らずに、いつまでものん気に輝いている月は、憎らしくもありました。
すいません。しかし、寒かったのです。でも、すいません。
四国の旅はもう終わってますよ。にして、あまりにも無計画でした。
「寒さで死ぬ」というのは嘘だ。
または、「寒さで死ぬ時の寒さ」ってのは
そんなに寒くないのかも知れない。
余りにも寒すぎると、気が散って意識も遠のかない…
ってのを学んだ夜でした。
が、最近の四国のくだりを見て、3月に四国で野宿する唯一??の共感者として一言。
無計画も凄いけど、とり返しのつかないことになってからでは遅すぎるょ。。
あまりに心配です!