この日、牧の原~静岡~富士見市。
AM2:00頃に、お世話になった#17家を出る。
一応、近道ということで
榛原町を望む台地の上まで#17君の見送ってもらう。
見送ってもらうと言っても、別にこれでお別れではない。
その日の昼過ぎにはまた、富士のふもとでまた合流する予定なのだ。
私が自転車でふもとの新富士駅まで先行して
あとから#17君が車で追っかけるという勝利の方程式!
『勝利の方程式』なんて…篠原・永井・ペドラザ以来やで。ほんま。
ということで、心配してくれる方々を背にして
頼りの月明かりも微妙な暗闇に、私は入っていった。
そして真っ暗な田舎道を、まずは焼津を目指してひたすらこいだのでした。
#150号線に出ると、伴走してくれた#17君にひとまずお別れをし
また、漕ぎ出したのです。
めちゃくちゃこぎました。榛原から焼津まで20㌔は覚悟していましたが
10㌔くらいの感覚(この10㌔の差は分かるまい。)で問題の焼津にはいつのまにか着いたのです。なぜ問題かと言うと、この焼津という町から静岡市に抜ける道が3本しかないからです。
一つは高速道路。自転車走行禁止は、言わずもがな。
一つは国道1号線。バイパスにつき自転車走行禁止は、言わずもがな。
一つは新幹線。自転車じゃなくて電車が通る道なので、自転車走行禁止は、言わずもがな。
一つは東海道(JR)理由は上に同じにつき、自転車走行禁止は、言わずもがな。
一つは海岸線。
もう一つが国道150号線。この二つが頼みの綱なのですが…
前者は3年前に通った道で、『大崩海岸』というそれはそれは険しい登り道でして
海伝いの岩山の斜面に敷かれた国道は、晴れた日にゃ海が見えるけど
焼津に着いたのは、午前3時半くらいで明らかに通ったらあかん時間帯でしたし
地元の人に聞いても、最近は夜は走り屋が多く、事故が多発しており
引きずられて死んじゃうなんて悲惨な事態も少なくないらしいのですが
しかし、僕自身結構走り屋としての自覚はあってぇ
そいつらよりはぁ、確実にぃ、長い距離を走ってる自信はあったんですけどぉ
っていうかー、こっちは自転車だけど、あっちはバイクなので
そんなことをグダグダ言いながら死んでしまうのも
損な話だなと思ったりなんかしちゃったりなんかして
どうしても大崩を通るべし!という気持ちもあったのですが…
もう一つの安産であろう、否。安全であろう国道150号線の方を嫌々選びました↓
って感じぃ☆
選んだ150号線は…も…自転車走行禁止でした。
その標識がトンネルの入り口に堂々と立っていて
「うわっ!まじで…?まじで?どうしよう…」と完全にひとりごちて
違う道、その150号線に側道は備え付けてないのか!とトンネル付近を探索したのですが
深夜、真っ暗、独り、静かだけど、用水路があり水が流れる音だけは聞こえてきて…
という、完全に自分に置かれている状況が、もの凄かったので
本当に「これはヤバイ」と思い、どうしようと考える。
携帯のEZWEBでマピオンだかなんだか知らないが、地図検索のサイトに登録して
何とか静岡市に抜ける道はないのかと検索しましたが、やはりこの150号線しかないようで
トラックが猛スピードを出してガンガンに吸い込まれていくトンネルの中へ
僕も
タイミングを見計らって
突入しました…『自転車走行禁止』の標識の看板を尻目に。
さて
トンネルというものには、車道の他に
自転車走行は禁止されているものの、やはり自転車が通れる通路が備わっているのです。
(まぁ、緊急時に人が通る通路なのですが。)
その通路を、壁と擦れ擦れにめちゃくちゃこいでこいでこいでこいでで…
っていうのは、トンネルの中は実際僕しか居ないのです。
その寂しさ、恐さを紛らわせてくれる救世主は、後ろからガンガンに攻めてくる数tトラックで
またそれが、さらに恐いのです。
だから、そんなトラックの存在意義に対しては、アンニュイな感じを抱かずにはおれませんでした。
結局は自分が何かしらの歌を口ずさむことでしか
自分を取り巻く恐怖の静寂に対して反抗できないのです。
そんな時の歌う歌というのが、#91君と#1君が大嫌い(僕は好き)な
小沢健二の歌でございまして、口ずさむ歌は、殆ど小沢健二の曲でしたのです。
この旅のテーマソングは、今から振り返るとしたならば、やはり、この小沢健二の楽曲なのでした。
結局トンネルはなんと、3㌔くらい続きました。この旅で一番恐怖した局面でした、はっきり言って。
さて、長い長いトンネルを抜けると、静岡だった。当たり前です、標識に書いてあるしやね。
150号線から1号線に乗って静岡市街・静岡駅前を通るのも一つの道なのでしたが
私自身ひとつの目標がありまして
ここは是非!徳川家康が祀られ(分骨され)てある『久能山東照宮』を観たいということで
そのまま静岡市駿河区・清水区の一番南、海岸線沿いの150号線を突き進んだのです。
この辺は苺が名産らしく、本当に空気の中に常に苺の香りがしておりましたのです。
午前6時にもなってなくて、前方。東の空には朝日が素晴らしいく、おかげで海も綺麗に輝いておりました。
進むこと10㌔くらい、左手に連なる山の頂のところに、宮が!『久能山東照宮』です。
そこにたどり着くために何段もの石段を昇り、正門はまだ開かずで、少し待つと
管理人らしき人が開門。朝のトレーニングのために昇ってきた人も幾人か。
朝一番ということもあり、一番奥の霊廟まではただで進める事が出来
その荘厳な造りが如何に素晴らしいかは、私には多分、まだ何となくにしか分かってないような気がします。
でも、それいいのです。
しかし、家康がどれだけ敬われているのかを知る1つの教材であり
南の太平洋を標高100mから望める素晴らしいロケーションでは家康も安眠でしょう。
久能山を離れると、ひたすらまた東へ進み、今度は美保という景勝を訪ねる。
『美保の松』と呼ばれるくらい、松が有名であり、松を手前に、富士をバックに頂く情景は
3大なんとかの1つらし。早く富士市に着いてしまいたいと逸る気持ちを抑えて
「でも、ここまで来て美保を見ずに進めるか!」という義務感が私を引き止めるのでした。
そして、目的の場所に着いて、富士を眺めたのですが晴れていなかったので、富士が見えなく
…最悪でした。でも、こういう処があるのだと、それだけでいいのです。
ここからは、清水区を縦断。1号線と合流して東進するのですが
清水区の興津町・由比町と過ぐる。特に由比町というところは
海岸線ギリギリを1号線が走っており、徒歩・自転車は1号線から外れて
山肌に多々ずむ昔の村・由比の中、旧東海道を進むむのがベストで
3年前も通らなければならなかったこの由比町の町並みは今年になってもなんら変わってませんでした。
普段から全く馴染みのない町を懐かしむというのも、この自転車旅行を
2度も遂行して初めてできることなのです。
由比→蒲原ときて、やっと富士山山麗に来たのです。ちなみに、やはり富士山見えず…。
嫌われているんだと思います。3年前も結局富士全体を望む事はありませんでした。
まず、富士川市、そして富士市。この町には紙・パルプ工場があり、すこし異様な匂いもちらほら。
問題の王子製紙も、ご自慢の煙突から堂々と白い煙を吐き出していました。
富士駅前は、寂れていました。この町全体はそんなに発達していなく
美容院の前で勧誘していた女の子にも「富士駅前と新富士駅周辺、どっちが栄えています?」と聞いても
この寂れた富士駅前の方がまだ店はあるというけれど
休憩しようとインターネットカフェを探しても、勿論そんなものもなく
早々と退散して新富士駅に向かいました。この頃には眠気が凄く、
新富士駅構内のベンチで安心して寝るために、新聞を買い
読んでいると見せかけて、頭を垂れて、4時間ほど爆睡。
午後3時頃に#17君が到着。車に乗って富士の懐に入り、攻めて行きました。
登山に備えてまず、銭湯に入り、ご飯を食べて…なんやかんやしながら時間を潰して
夜5時頃?に2合目駐車場で準備をし、バスで5合目に行き
5合目では、10時出発までは杖など買い、お菓子を買って食べて、透明な冷たい空気なんかも食べて
黒い空の下で、黒い山の下で、来たる激闘に備えていたのです★
AM2:00頃に、お世話になった#17家を出る。
一応、近道ということで
榛原町を望む台地の上まで#17君の見送ってもらう。
見送ってもらうと言っても、別にこれでお別れではない。
その日の昼過ぎにはまた、富士のふもとでまた合流する予定なのだ。
私が自転車でふもとの新富士駅まで先行して
あとから#17君が車で追っかけるという勝利の方程式!
『勝利の方程式』なんて…篠原・永井・ペドラザ以来やで。ほんま。
ということで、心配してくれる方々を背にして
頼りの月明かりも微妙な暗闇に、私は入っていった。
そして真っ暗な田舎道を、まずは焼津を目指してひたすらこいだのでした。
#150号線に出ると、伴走してくれた#17君にひとまずお別れをし
また、漕ぎ出したのです。
めちゃくちゃこぎました。榛原から焼津まで20㌔は覚悟していましたが
10㌔くらいの感覚(この10㌔の差は分かるまい。)で問題の焼津にはいつのまにか着いたのです。なぜ問題かと言うと、この焼津という町から静岡市に抜ける道が3本しかないからです。
一つは高速道路。自転車走行禁止は、言わずもがな。
一つは国道1号線。バイパスにつき自転車走行禁止は、言わずもがな。
一つは新幹線。自転車じゃなくて電車が通る道なので、自転車走行禁止は、言わずもがな。
一つは東海道(JR)理由は上に同じにつき、自転車走行禁止は、言わずもがな。
一つは海岸線。
もう一つが国道150号線。この二つが頼みの綱なのですが…
前者は3年前に通った道で、『大崩海岸』というそれはそれは険しい登り道でして
海伝いの岩山の斜面に敷かれた国道は、晴れた日にゃ海が見えるけど
焼津に着いたのは、午前3時半くらいで明らかに通ったらあかん時間帯でしたし
地元の人に聞いても、最近は夜は走り屋が多く、事故が多発しており
引きずられて死んじゃうなんて悲惨な事態も少なくないらしいのですが
しかし、僕自身結構走り屋としての自覚はあってぇ
そいつらよりはぁ、確実にぃ、長い距離を走ってる自信はあったんですけどぉ
っていうかー、こっちは自転車だけど、あっちはバイクなので
そんなことをグダグダ言いながら死んでしまうのも
損な話だなと思ったりなんかしちゃったりなんかして
どうしても大崩を通るべし!という気持ちもあったのですが…
もう一つの安産であろう、否。安全であろう国道150号線の方を嫌々選びました↓
って感じぃ☆
選んだ150号線は…も…自転車走行禁止でした。
その標識がトンネルの入り口に堂々と立っていて
「うわっ!まじで…?まじで?どうしよう…」と完全にひとりごちて
違う道、その150号線に側道は備え付けてないのか!とトンネル付近を探索したのですが
深夜、真っ暗、独り、静かだけど、用水路があり水が流れる音だけは聞こえてきて…
という、完全に自分に置かれている状況が、もの凄かったので
本当に「これはヤバイ」と思い、どうしようと考える。
携帯のEZWEBでマピオンだかなんだか知らないが、地図検索のサイトに登録して
何とか静岡市に抜ける道はないのかと検索しましたが、やはりこの150号線しかないようで
トラックが猛スピードを出してガンガンに吸い込まれていくトンネルの中へ
僕も
タイミングを見計らって
突入しました…『自転車走行禁止』の標識の看板を尻目に。
さて
トンネルというものには、車道の他に
自転車走行は禁止されているものの、やはり自転車が通れる通路が備わっているのです。
(まぁ、緊急時に人が通る通路なのですが。)
その通路を、壁と擦れ擦れにめちゃくちゃこいでこいでこいでこいでで…
っていうのは、トンネルの中は実際僕しか居ないのです。
その寂しさ、恐さを紛らわせてくれる救世主は、後ろからガンガンに攻めてくる数tトラックで
またそれが、さらに恐いのです。
だから、そんなトラックの存在意義に対しては、アンニュイな感じを抱かずにはおれませんでした。
結局は自分が何かしらの歌を口ずさむことでしか
自分を取り巻く恐怖の静寂に対して反抗できないのです。
そんな時の歌う歌というのが、#91君と#1君が大嫌い(僕は好き)な
小沢健二の歌でございまして、口ずさむ歌は、殆ど小沢健二の曲でしたのです。
この旅のテーマソングは、今から振り返るとしたならば、やはり、この小沢健二の楽曲なのでした。
結局トンネルはなんと、3㌔くらい続きました。この旅で一番恐怖した局面でした、はっきり言って。
さて、長い長いトンネルを抜けると、静岡だった。当たり前です、標識に書いてあるしやね。
150号線から1号線に乗って静岡市街・静岡駅前を通るのも一つの道なのでしたが
私自身ひとつの目標がありまして
ここは是非!徳川家康が祀られ(分骨され)てある『久能山東照宮』を観たいということで
そのまま静岡市駿河区・清水区の一番南、海岸線沿いの150号線を突き進んだのです。
この辺は苺が名産らしく、本当に空気の中に常に苺の香りがしておりましたのです。
午前6時にもなってなくて、前方。東の空には朝日が素晴らしいく、おかげで海も綺麗に輝いておりました。
進むこと10㌔くらい、左手に連なる山の頂のところに、宮が!『久能山東照宮』です。
そこにたどり着くために何段もの石段を昇り、正門はまだ開かずで、少し待つと
管理人らしき人が開門。朝のトレーニングのために昇ってきた人も幾人か。
朝一番ということもあり、一番奥の霊廟まではただで進める事が出来
その荘厳な造りが如何に素晴らしいかは、私には多分、まだ何となくにしか分かってないような気がします。
でも、それいいのです。
しかし、家康がどれだけ敬われているのかを知る1つの教材であり
南の太平洋を標高100mから望める素晴らしいロケーションでは家康も安眠でしょう。
久能山を離れると、ひたすらまた東へ進み、今度は美保という景勝を訪ねる。
『美保の松』と呼ばれるくらい、松が有名であり、松を手前に、富士をバックに頂く情景は
3大なんとかの1つらし。早く富士市に着いてしまいたいと逸る気持ちを抑えて
「でも、ここまで来て美保を見ずに進めるか!」という義務感が私を引き止めるのでした。
そして、目的の場所に着いて、富士を眺めたのですが晴れていなかったので、富士が見えなく
…最悪でした。でも、こういう処があるのだと、それだけでいいのです。
ここからは、清水区を縦断。1号線と合流して東進するのですが
清水区の興津町・由比町と過ぐる。特に由比町というところは
海岸線ギリギリを1号線が走っており、徒歩・自転車は1号線から外れて
山肌に多々ずむ昔の村・由比の中、旧東海道を進むむのがベストで
3年前も通らなければならなかったこの由比町の町並みは今年になってもなんら変わってませんでした。
普段から全く馴染みのない町を懐かしむというのも、この自転車旅行を
2度も遂行して初めてできることなのです。
由比→蒲原ときて、やっと富士山山麗に来たのです。ちなみに、やはり富士山見えず…。
嫌われているんだと思います。3年前も結局富士全体を望む事はありませんでした。
まず、富士川市、そして富士市。この町には紙・パルプ工場があり、すこし異様な匂いもちらほら。
問題の王子製紙も、ご自慢の煙突から堂々と白い煙を吐き出していました。
富士駅前は、寂れていました。この町全体はそんなに発達していなく
美容院の前で勧誘していた女の子にも「富士駅前と新富士駅周辺、どっちが栄えています?」と聞いても
この寂れた富士駅前の方がまだ店はあるというけれど
休憩しようとインターネットカフェを探しても、勿論そんなものもなく
早々と退散して新富士駅に向かいました。この頃には眠気が凄く、
新富士駅構内のベンチで安心して寝るために、新聞を買い
読んでいると見せかけて、頭を垂れて、4時間ほど爆睡。
午後3時頃に#17君が到着。車に乗って富士の懐に入り、攻めて行きました。
登山に備えてまず、銭湯に入り、ご飯を食べて…なんやかんやしながら時間を潰して
夜5時頃?に2合目駐車場で準備をし、バスで5合目に行き
5合目では、10時出発までは杖など買い、お菓子を買って食べて、透明な冷たい空気なんかも食べて
黒い空の下で、黒い山の下で、来たる激闘に備えていたのです★
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