Ferrari 312B3
(1973年)
9位ジャッキーイクス(白)
12位アルトッーロメルツァリオ(伊)
6位コンストラクター
代表アレッサンドロコロンボ
Tec.engマウロフォルギエ―リ
Tec.engサンドロコロンボ
1973年から1975年にかけては、312Bシリーズの最後となる312B3が使用されたが、
同じ車名でも大きく分けて4つのバージョンが存在する。
スパッツァネーヴェ(除雪車)312B3"スパッツァネーヴェ"(ムゼオ・フェラーリ展示車)
最初のバージョンは1972年末、
フェラーリのテストコースであるフィオラノサーキットでプレス向けに公開された。
フロントの空力処理が斬新で、箱型の幅広いノーズには2つの大きなNACAダクトが開口していた。
ノーズとウィングが巨大な雪掻き(スノープラウ)のように見えるためスパッツァネーヴェ
(Spazzaneve 、伊語で除雪車の意)という渾名を頂戴した。
結局、このタイプは実戦に一度も登場することなくお蔵入りになり、
設計者のマウロフォルギエリはフェラーリのロードカー部門へ一時左遷された。
その後社外に売却され、ヒストリックフォーミュライベントでその奇異な姿を見ることができる。
312B3-73前期型、1973年第4戦スペインGPから312B3の実戦モデルが投入された。
スパッツァネーヴェとは別にサンドロコロンボが設計したもので、
フェラーリとしては初めてフレーム(骨組み)のないフルモノコックシャーシを採用し、
ジョントンプソン率いるイギリスのTCプロトタイプに製造を委託した。
ロータス72に似たウェッジシェイプボディーとサイドラジエーターが特徴だったが、
その後はフロントラジエーターに戻された。
フェラーリ初のイギリス製シャシーという出身、およびその外観から赤いロータスと揶揄された。
リアウィングはオーバーハングに大判のバナナウィングを装着している。
ドライバーはレガツォーニが離脱し、アルトゥーロメルツァリオがレギュラーに昇格した。
しかしフェラーリの2台は下位集団に埋もれ、
第10戦オランダグGPと第11戦1973年独GPを開発のため欠場する事態に追い込まれた。
後期型第12戦オーストリアグランプリから投入された1973年後期型は、
レースチームに復帰したフォルギエリの手で全面的に改修が施されており、312B3Sとも呼ばれる。
Sはスペリメンターレ(Sperimentale 、伊語で実験的な、の意)の頭文字。
ラジエーターはシャシーの前方両サイドに移り、
フロントサスペンションアームの間から気流を取り入れ、
煙突状の穴から上方に排熱する方式となった。オイルクーラーはリアタイヤの手前に縦方向に配置。
フロントウィングは左右分割式をやめ、ノーズ上にテーブルトップタイプの一枚板を載せ、
2本のステーで支持した。また、流行の大型インダクションポッドを採用した。
オーストリアグランプリから最終戦までの4戦は、基本的にメルツァリオ1台で参戦した。
イクスはイタリアグランプリは出走したものの、チームとの関係が悪化しフェラーリから離脱した。
ドライバーズタイトルは、
1位ジャッキースチュアート (71P)
9位ジャッキーイクス0勝(12P)
12位アルトッーロメルツァリオ0勝(6P)
3,000㏄180°V12、NA
DOHC4V ,EN,MT縦置
485PS、578㎏、5速+1速
L4,335㎜,W2,056㎜
前9.2-20-13,後14-26-13