Ferrari 312F1
(1969年)
12位クリスエイモン(新)
15位ペドロロドリゲス(墨)
-位エルネストブランビラ(伊)
6位コンストラクター
代表フランコゴッツィ
Tec.engマウロフォルギエ―リ
1969年はエンジンのポート配置が再び通常のバンク外排気に戻された。
シリンダーヘッドの改良でパワーアップを図ったが、信頼性不足を露呈し、
エンジントラブルが頻発した。
最高出力は公称436PS。
前年先鞭を付けたウィングは、開発競争によって前後ハイマウント式にまで進化したが、
モナコGP中に大幅規制を受け、高さの低い固定式に変更された。
チームの資金難により、前半戦はエイモンの1台体制での参戦にとどまった。
エイモンは地元伊GPで予選落ちしたあとチームを離脱し、
終盤戦はペドロロドリゲスの1台体制になった。
シーズン獲得ポイントはわずか7点、ランキング6位という散々な結果に終わり、
フェラーリは新開発の12気筒ボクサーエンジンを搭載する312Bに期待をつなぐしかなかった。
クリスエイモン第6戦まで参戦。
ペドロロドリゲス第3戦までBRMから出走。6戦以降フェラーリから参戦。
エルネストブランビラ第8戦に参戦。
ドライバーズタイトルは、
1位ジャッキースチュアート(63P)
12位クリスエイモン0勝(4P)
15位ペドロロドリゲス0勝(3P)
-位エルネストブランビラ0勝(0)
3,000㏄60°V12、NA
DOHC4V ,EN,MT縦置
436PS、530㎏、5速+1速
L4,060㎜
前5-10-13,後6-13.50-15