Ferrari 256F1
(1959年)
4位フィルヒル(米)
17位クリフアリソン(英)
2位トニーブルックス(英)
7位ダンガーニー(米)
-位ヴォルフガングフォントリップス(独)
2位コンストラクター
代表ロモロタヴォーニ
Tec.dsnカルロキティ
1959年はカルロキティの指揮下、ファントゥッツィ製アルミニウムボディの架装、
筒型ダンパーへの変更などの改良が施された。
1959年、クーパーのジャックブラバムがミッドシップ時代の到来を告げる中、
フェラーリは依然フロントエンジンの256F1で戦っていた。
ヴァンウォールから移籍したトニーブルックスが高速コースで2勝してタイトル争いに残ったが、
最終戦アメリカグランプリでチームメイトのヴォルフガングフォントリップスに
追突されチャンスを逃した。
ドライバータイトルは
1位ジャックブラバム2勝(31P)
4位フィルヒル0勝(20P)
-位フォントリップス0勝(0P)
17位クリフアリソン0勝(2P)
7位ダンガーニー0勝(13P)
以下256F1
560㎏,5速R1、2,475㏄
65°V型4気筒,295PS
DOHC2V,ブレーキディスク
前輪サイズ 5.50×16
後輪サイズ 7.00×16