ティフォシモデルカー美術館

1/43フェラーリモデルカーに特化した個人コレクター美術館です
千台以上所蔵の一部、300台程を常設展示しています

フェラーリ 312B3

2021-12-13 | F-1

Ferrari 312B3

(1973年)

9位ジャッキーイクス(白)

12位アルトッーロメルツァリオ(伊)

6位コンストラクター

代表アレッサンドロコロンボ

Tec.engマウロフォルギエ―リ

Tec.engサンドロコロンボ

1973年から1975年にかけては、312Bシリーズの最後となる312B3が使用されたが、

同じ車名でも大きく分けて4つのバージョンが存在する。

スパッツァネーヴェ(除雪車)312B3"スパッツァネーヴェ"(ムゼオ・フェラーリ展示車)

最初のバージョンは1972年末、

フェラーリのテストコースであるフィオラノサーキットでプレス向けに公開された。

フロントの空力処理が斬新で、箱型の幅広いノーズには2つの大きなNACAダクトが開口していた。

ノーズとウィングが巨大な雪掻き(スノープラウ)のように見えるためスパッツァネーヴェ

(Spazzaneve 、伊語で除雪車の意)という渾名を頂戴した。

結局、このタイプは実戦に一度も登場することなくお蔵入りになり、

設計者のマウロフォルギエリはフェラーリのロードカー部門へ一時左遷された。

その後社外に売却され、ヒストリックフォーミュライベントでその奇異な姿を見ることができる。

312B3-73前期型、1973年第4戦スペインGPから312B3の実戦モデルが投入された。

スパッツァネーヴェとは別にサンドロコロンボが設計したもので、

フェラーリとしては初めてフレーム(骨組み)のないフルモノコックシャーシを採用し、

ジョントンプソン率いるイギリスのTCプロトタイプに製造を委託した。

ロータス72に似たウェッジシェイプボディーとサイドラジエーターが特徴だったが、

その後はフロントラジエーターに戻された。

フェラーリ初のイギリス製シャシーという出身、およびその外観から赤いロータスと揶揄された。

リアウィングはオーバーハングに大判のバナナウィングを装着している。

ドライバーはレガツォーニが離脱し、アルトゥーロメルツァリオがレギュラーに昇格した。

しかしフェラーリの2台は下位集団に埋もれ、

第10戦オランダグGPと第11戦1973年独GPを開発のため欠場する事態に追い込まれた。

後期型第12戦オーストリアグランプリから投入された1973年後期型は、

レースチームに復帰したフォルギエリの手で全面的に改修が施されており、312B3Sとも呼ばれる。

Sはスペリメンターレ(Sperimentale 、伊語で実験的な、の意)の頭文字。

ラジエーターはシャシーの前方両サイドに移り、

フロントサスペンションアームの間から気流を取り入れ、

煙突状の穴から上方に排熱する方式となった。オイルクーラーはリアタイヤの手前に縦方向に配置。

フロントウィングは左右分割式をやめ、ノーズ上にテーブルトップタイプの一枚板を載せ、

2本のステーで支持した。また、流行の大型インダクションポッドを採用した。

オーストリアグランプリから最終戦までの4戦は、基本的にメルツァリオ1台で参戦した。

イクスはイタリアグランプリは出走したものの、チームとの関係が悪化しフェラーリから離脱した。

ドライバーズタイトルは、

1位ジャッキースチュアート (71P)

9位ジャッキーイクス0勝(12P)

12位アルトッーロメルツァリオ0勝(6P)

3,000㏄180°V12、NA

DOHC4V ,EN,MT縦置

485PS、578㎏、5速+1速

L4,335㎜,W2,056㎜

前9.2-20-13,後14-26-13


フェラーリ 312 B3

2021-12-10 | F-1

Ferrari 312B3

(1974年)

2位クレイレガッオーニ (瑞)

4位ニキラウダ (墺)

2位コンストラクター

代表ルカディモンテゼーモロ

Tec.engマウロフォルギエ―リ

1974年の最終型312B3は、前年の後期型をベースに設計された。

シャシーはフルモノコックからセミモノコックに戻され、重量配分を見直した結果、

以前よりもコクピット位置が前進した。

低くフラットなシャシーに、グラマラスなアッパーカウルという構成は、

後継の312Tにも受け継がれた。

インダクションポッドは横幅の広い旧型から縦に細長いタイプに変更され、

上下に分割された経路を通じて、

ラムエアーをエンジン左右のインテークマニホールドに供給した。

この年は体制面で大きな変更があった。

スポーツカーレースから撤退してF1活動のみに絞り、ルカディモンテゼーモロが

チームマネージャーに就任した。

ドライバーは出戻りのクレイレガツォーニと若手ニキラウダという新コンビ。

第4戦スペインGPではラウダが初優勝し、チームに2年ぶりの勝利をもたらした。

ラウダは6戦連続を含めシーズン個人最多の9ポールポジションを獲得し、

開発面でも非凡な能力を見せた。レガツォーニはマクラーレンのエマーソンフィッティパルディ、

ティレルのジョディーシェクターとタイトルを争い、

フィッティパルディと同ポイント(52点)で最終戦に臨んだが、惜しくもチャンピオンを逃した。

コンストラクターズではマクラーレンに次ぐ2位に浮上した。

312B3は翌1975年の第2戦まで使用され、312Tにバトンタッチした。

ラウダは312B3は常にアンダーステア傾向を抱えていて、

思い通りにコーナリングするのに一苦労していたと語っている。

312Tでは対策として、ホイールベース内に横置きギアボックスを配置することになる。

ドライバーズタイトルは、

1位エバーソンフィッティバルディ(55P)

2位クレイレガッオーニ1勝(52P)

4位ニキラウダ1勝(38P)

3,000㏄180°V12、NA

DOHC4V ,EN,MT縦置

490PS、582㎏、5速+1速

L4,380㎜,W2,085㎜

前9.2-20-13,後14-26-13


フェラーリ 312T

2021-12-08 | F-1

Ferrari 312T~312T5

(1975~1980年)

フェラーリ312Tシリーズは1974年の312B3をベースに作られ、1975年から1980年まで使用された。

312Tはマウロフォルギエリが1975年シーズン用に設計したもので、改良を受けながら使用され続けた。

312Tシリーズは通算27勝を挙げ、

4度のコンストラクターズタイトルと3度のドライバーズタイトルを獲得した。

312Tは、1981年にフェラーリ初のターボ付き車両の126CKに置換された。

312Tのエンジンは、先代の312Bの水平対向12気筒(180°V型)の構成を引継いだ改良型で、

パワフルで信頼性が高く、510馬力程度を発生する。

名称に含まれる"T"は、横Trasversale伊語。の頭文字で、

横置きのギアボックスを採用したことから付けられた。

横置きギアボックスを採用することでショートホイールベース化を実現し、

先代の大きな弱点だったハンドリング特性が改善した。

このキャプションでは便宜上、車両312T~312T5に大まかに分類し表示する。

 

Ferrari 312T (1975年)

2位クレイレガッオーニ (瑞)

4位ニキラウダ (墺)

1位👑コンストラクター

代表ルカディモンテゼーモロ

Tec.engマウロフォルギエ―リ

312Tの開発は1974年に始まった。

当時使用していた312B3はハンドリングに解決できない問題を抱えており、

大きな発想の転換が必要とされていた。

当時、フェラーリの新しいF1車両設計はマウロフォルギエリが指揮を執っていた。

この車両は鋼管にアルミパネルを組み合わせたセミモノコック構造を採用したが、

多くの新しい機構も導入した。

大きなものには横置きのギアボックスがあった。

横置きの配置にすることでギアボックスをホイールベース内に納めることが可能になり、

慣性モーメントを低減させることができた。

サスペンションも312B3から大きく変更され、シャシーのフロント部分は大きく狭められた。

ハンドリングはニュートラルステアの特性を示し、

312B3を苦しめた恒久的なアンダーステアから開放された。

ニキラウダは312Tのテストをオフシーズンの期間中継続し、

万全の状態で翌シーズンを迎えるための準備を進めた。

最初の312Tは1974年の秋に完成し、1974年のシーズン終了後にモデナで報道機関向けに公開された。

しかしながら、チームは1975年の開幕から2レースでは旧モデルの312B3を使用し、

312Tのデビューレースは南アフリカGPとなった。

デビューレースでの312Tの成績は失望的なもので、

クレイレガツォーニの車両はセットアップに失敗し、ニキラウダの車両はパワー不足に見舞われた。

レース後に行われたテストで、ラウダの使用したエンジンに技術的な問題があったことが発見された。

312Tはフィオラノサーキットで312Bと同時にテストされ、

この新しい車両のほうが確実に速いことが明らかになった。

そして312Tは次に参戦したレース、非選手権戦のインターナショナルトロフィーレースで、

ラウダのドライブにより実際に優勝を果たした。

世界選手権ではシーズン序盤のブラバム、ティレル、マクラーレンによる激しい競争には出遅れたが、

ラウダはシーズン中盤には5レース中4レースで勝利を挙げ、

モンツァで3位に入賞してドライバーズタイトルを獲得した。

このレースではレガツォーニが優勝し、

フェラーリは1964年以来のコンストラクターズタイトルを獲得した。

ラウダは最終戦の米GPでも優勝し、フェラーリの優位性を示した。

1976年、F1車両のレギュレーションが変更され、

当時すでに一般的になっていた背の高いインダクションボックスが禁止された。

この規則は5月に開催されたスペインGPから導入され、

フェラーリは1976年の序盤3戦まで312Tを継続して使用することができた。

この3レースのうち、2レース目までをラウダが、3レース目をレガツォーニが制した。

第4戦からは、改良版の312T2が使用された。

ドライバーズタイトルは、

1位フィティバルディ(55P)

4位ニキラウダ2勝(38P)

2位クレイレガッオーニ1勝(52P)

3,000㏄180°V12、NA

DOHC4V ,EN縦MT横置

495PS、575㎏、5速+1速

L4,143㎜W1,275㎜

前9.2-20-13,,後16.2-26-13


フェラーリ 612 スカリエッティ セッサンタ

2021-12-07 | 4シータ,6気筒&特殊モデル(各種レース)

フェラーリ612 スカリエッティ セッサンタ

(2007) 限定60台

セッサンタ、フェラーリ60周年記念モデル(1947-2007)で、60台の特別な612です。

記念イベントを1月28日に開始しました。

スタート地点となったアブダビのイタリア大使館前で行われたセレモニーでセッサンタが

発表されました。

クラシックフェラーリに見られるショルダーラインの上下で2色に塗り分けられたツートンの

ボディカラーの外装、特別カラーの内装。

ルーフには透明度が好みに調節可能な新世代のエレクトロクロミックガラスのルーフが特徴です。