ティフォシモデルカー美術館

1/43フェラーリモデルカーに特化した個人コレクター美術館です
千台以上所蔵の一部、300台程を常設展示しています

フェラーリ 801F1

2022-04-19 | F-1

Ferrari  801F1

(1957年)

4位マイクホーソーン(英)

9位ピーターコリンズ (英)

-位エウジェニオカステロッティ(伊)

3位ルイジムッソ (伊)

14位ヴォルフガングフォントリップス(独)

-位チェーザレペルディーサ(独)

21位アルフォンソデポルターゴ(西)

21位ホセフロイランゴンザレス(爾)

13位モーリストランティニアン(仏)

代表フェラーリアモロッティ

Tec.dsnヴィットリオヤーノ

1957年はD50が大幅に改造され、名称もフェラーリ801F1となった。

801はF1用の8気筒エンジンマシンをあらわす。

エンジンとシャーシは新設計され、サスペンションも改修。

サイドポンツーンは廃止され、伝統的な砲弾型のボディに戻った。

この年のフェラーリはマセラティとヴァンウォールの影に隠れて1勝もできずに終わった。

独GPではマセラティに移籍したファンジオに伝説の大逆転劇を許した。

また、スポーツカーレースでエウジェニオキャステロッティとアルフォンソデポルタゴが相次いで

事故死するなど、フェラーリにとって暗い話題の多いシーズンとなった。

ドライバータイトルは

4位マイクホーソーン0勝(13P)

9位ピーターコリンズ0勝(8P)

-位エウジェニオカステロッティ(0P)

3位ルイジムッソ0勝(16P)

14位ヴォルフガングフォントリップス0勝(4P)

-位チェーザレペルディーサ(0P)

21位アルフォンソデポルターゴ0勝(1P)

21位ホセフロイランゴンザレス0勝(1P)

13位モーリストランティニアン0勝(5P)

650㎏,5速R1、2,485㏄

90°V型8気筒,275PS

DOHC2V,ブレーキドラム

280㎞/h

前輪サイズ 5.50×16

後輪サイズ 7.00×16


フェラーリ 246F1、256F1

2022-04-18 | F-1

Ferrari 246F1,256F1

(1958-1960年)

フェラーリ246F1は、スクーデリアフェラーリが1958年から1960年にかけてF1世界選手権で使用した

フォーミュラ1カーである。

車名の246は2,400ccの6気筒エンジンをあらわす。

エンジン開発に携わったアルフレードフェラーリの愛称にちなみディーノ246F1とも呼ばれる。

発展型のフェラーリ 256F1についても説明する。

開発は1958年のF1レギュレーション改訂によりアルコール燃料の使用が禁止され、

航空機用ガソリン燃料の使用が義務付けられた。

また、決勝レースの最低走行距離が500kmから300kmに短縮され、

燃料タンクが小さいコンパクトなマシン作りが可能になった。

フェラーリはこれらの変更への対応策として、

F2用に開発したV型6気筒1.5Lエンジンを拡大する方法を選んだ。

開発はヴィットリオヤーノの指揮下、アルベルトマッシミーノがシャシー、

ルイジベレンターニがエンジンを担当した。

65°のバンク角を持つディーノV6エンジンは1956年に他界したエンツォフェラーリの長男

アルフレードの意見を取り入れて設計されたもので、1957年の156F2に始まり、

1.9L、2.2Lを経て2.4Lにまで拡大された。

その系譜はロードカーのディーノブランド(フィアットディーノ,ディーノ206/246、

ディーノ208/308GT4)に受け継がれていく。

1958年は開幕戦から246F1で戦い、シーズン終盤には排気量を若干増し、

ダンロップ製ディスクブレーキを装備した256F1が登場した。

1959年はカルロキティの指揮下、ファントゥッツィ製アルミニウムボディの架装、

筒型ダンパーへの変更などの改良が施された。

1960年にはリアのド・ディオンアクスルが廃され、前後とも独立懸架方式のサスペンションとされた。

この年はミッドシップ試作車の246Pも2戦出走した。


フェラーリ 256F1

2022-04-15 | F-1

Ferrari  256F1

(1959年)

4位フィルヒル(米)

17位クリフアリソン(英)

2位トニーブルックス(英)

7位ダンガーニー(米)

-位ヴォルフガングフォントリップス(独)

2位コンストラクター

代表ロモロタヴォーニ

Tec.dsnカルロキティ

1959年はカルロキティの指揮下、ファントゥッツィ製アルミニウムボディの架装、

筒型ダンパーへの変更などの改良が施された。

1959年、クーパーのジャックブラバムがミッドシップ時代の到来を告げる中、

フェラーリは依然フロントエンジンの256F1で戦っていた。

ヴァンウォールから移籍したトニーブルックスが高速コースで2勝してタイトル争いに残ったが、

最終戦アメリカグランプリでチームメイトのヴォルフガングフォントリップスに

追突されチャンスを逃した。

ドライバータイトルは

1位ジャックブラバム2勝(31P)

4位フィルヒル0勝(20P)

-位フォントリップス0勝(0P)

17位クリフアリソン0勝(2P)

7位ダンガーニー0勝(13P)

以下256F1

560㎏,5速R1、2,475㏄

65°V型4気筒,295PS

DOHC2V,ブレーキディスク

前輪サイズ 5.50×16

後輪サイズ 7.00×16


フェラーリ  256F1,246P

2022-04-13 | F-1

Ferrari  256F1,246P

(1960年)

16位ウィリーメレス(独)

5位フィルヒル(米)

7位フォントリップス(独)

12位クリフアリソン(英)

3位コンストラクター

代表ロモロタヴォーニ

Tec.dsnカルロキティ

1960年にはリアのドディオンアクスルが廃され、前後とも独立懸架方式のサスペンションとされた。

この年はミッドシップ試作車の246Pも2戦出走した。

1960年になると256F1では表彰台確保もおぼつかなくなり、

チームは翌年の1.5Lエンジン規定導入を見越してミッドシップマシンの開発に注力した。

最終戦の地元伊GPで1-2-3フィニッシュを決めて観客を喜ばせたが、

これはモンツァサーキットの高速バンクが危険だとして英国勢が参加しなかったためである。

この優勝はF1におけるフロントエンジン車の最後の勝利として記録された。

ドライバータイトルは

1位ジャックブラバム5勝(43P)

16位ウィリーメレス0勝(4P)

5位フィルヒル1勝(16P)

7位フォントリップス0勝(10P)

12位クリフアリソン0勝(6P)

以下256F1

560㎏,5速R1、2,475㏄

65°V型4気筒,295PS

DOHC2V,ブレーキディスク

前輪サイズ 5.50×16

後輪サイズ 7.00×16


フェラーリ 156F1

2022-04-01 | F-1

Ferrari 156F1

(1961年)

-位ウィリーメレス(独)

5位リッチーギンサー(米)

1位👑フィルヒル(米)

2位フォントリップス(独)

14位ジャンドビアン(独)

9位ジャンカルドバケッティ(伊)

-位リカルドロドリゲス(墨)

1位👑コンストラクター

代表エウジェニオドラゴーニ

Tec.dsnフォルギエリ

Tec.dsnカルロキティ

1961年はフォントリップスとヒル(1961年蘭GP)

レギュレーション変更に乗じてフェラーリが圧勝するという展開は、1952年シーズンの再現であった。

フェラーリは選手権8戦中5勝を挙げ、

1958年に制定されたコンストラクターズタイトルを初めて獲得した。

エースのフィルヒルとヴォルフガングフォントリップスが2勝ずつし、

仏GPではプライベートチームFISAの新人ジャンカルロバゲッティがF1デビュー戦優勝を記録した。

ベルギーGPではフェラーリが1-4位を独占。

勝利を逃した2戦はロブウォーカーレーシングのスターリングモスが類いまれなテクニックで

制したものだった。

ヒルとフォントリップスのドライバーズタイトル同門対決は、

地元伊GPでフォントリップスが観客14名を巻き添えに事故死する悲劇で決着がついた。

フェラーリは最終戦米GPを欠場し、アメリカ人初のF1王者となったヒルは母国凱旋を果たせなかった。

ドライバータイトルは

-位ウィリーメレス0勝(0P)

5位ギンサー0勝(16P)

1位👑フィルヒル3勝(34P)

2位トリップス2勝(33P)

14位ドビアン0勝(3P)

9位バケッティ0勝(9P)

-位ロドリゲス0勝(0P)

1961(1962)年型全長

4,060㎜,高1000㎜。

420㎏,5速R1、1,476㏄

65→120°V型6気筒

DOHC2V,190PS

前輪サイズ 5.00×15

後輪サイズ 6.00×15