Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

家紋

2008年11月20日 | Weblog
増上寺は、いわずとしれた
徳川家の 菩提寺の一つである。

今年のNHK大河ドラマに登場する
徳川家の高貴なお方が
眠っていらっしゃる。

私は、「和宮さま」に、子供のころから
興味があり、有吉 佐和子さんの
「和宮様御留」も、読んだので
いつか、増上寺の和宮さまの
お墓におまいりできたら・・。
と思っていた。

しかし、徳川家のご霊廟は
葵のご紋がちりばめられた大きな門で
固く閉ざされていた。
あたりまえといえば、あたりまえ。

「この紋所が目にはいらぬか!」といわれば
「ははっ・・・・。」と土下座をせねばならない
空気というのは、こういうものなのだろうか?

ご朱印帳がうっていて、私は、自分ようのを
もっていないので買おうかと思った。
その表紙にも、金の葵の御紋があった。

それで、買うのをやめた。

私の実家の家紋は、庶民にありがちな
「五三の桐」である。
豊臣家は「五七の桐」である。
こちらは、正真正銘、天皇家からの
拝領である。

うちの実家の家紋は、いつからそうなったのか
知らないが、父は、大切にしていた。
昭和の時代、といってもうちの子供がうまれてからも
お正月には、家紋入りの幔幕を玄関にはるのが
除夜の鐘を聞きながらの父と私の行事であった。
お正月の賀状いれは、ぼろぼろにはげた家紋いりの漆の
盆である。

私は、結婚するとき、家で、花嫁衣裳の
支度をして
五三の桐が染められた幔幕を
くぐって、実家から、でた。
あの時代、そんなことをしたのは
ご近所で、うちくらいなものである。
お葬式のときに着る喪服の紋も
五三の桐である。
そういうことが、一瞬のうちに
頭によぎった。

葵の御紋をみているうちに
私は、この御紋はもてない、
と思った。

大阪人であり、太閤さんといい親しみ、
五三の桐を背負うものとしては、
軽々しく、葵をもてない気持ちなのだ。

徳川家というのは、我々には、遠い世界であり、
私は、市井の民であるから、まったく
無関係なのだが、
そうそう、日本には、「家紋」という文化があったのだ。

ちなみに今の我が家の家紋は、夫の実家のものであるから
桐ではない。
息子の兜をみて知るのみである。
娘に紋付の着物を誂えてやるわけでもないから
子供たちは知らないと思う。

継承されるもの、というのは
私の身についた、「桐を背負う」とか
そういう、空気みたいなものなんだなあ・・・。
と、思った。

さて、外国でチェックをきるとしたら
赤いタータンチェックである。
Scotland のスチュアート家の
家紋というべき、ロイヤル・スチュアートと
呼ばれるチェックのドレスを娘は、よくきていた。
だから、愛着がある。

ご縁があり、愛したものを大事にする。
それだけのことである。

だから、相手の大事なものも
敬う。