Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

残酷な数字

2008年09月24日 | Weblog
さえない今日。
 
明日、予定があるので、
一日はやく、クリニックにいった。

とても、混んでいて、時間つぶしに
閉店する松坂屋にいった。
屋上に初めていってみた。
昔の百貨店!というお好み食堂。

ゆずが、世の中に認められ始めた地。

そのあと、クリニックにもどり、
前回の血液検査の結果を聞いた。

ショックな宣告があった。
わかっていたことなのに、
数字で、示されると、ショックだった。
帰りの電車の中で、目に入るもの、
すべて、感傷的に見えて、
涙がでてしまった。

でも、別に命に、どうのこうのじゃない。
しかし、私にとっては、覚悟していても
大きな、終わりだった。

あああ・・・・・。
なんとか、ならなかったのだろうか?
悔しい。
悲しい。
私の努力で、どうしようもなかったもの。
失いたくなかった「私」というもの。

私が、私でなくなるような、喪失感。
むしょうに、ゆったりした黒のブラウスが着たい。
白い、カサブランカの花束をかって、
寝室にいけた。




お上がり

2008年09月22日 | Weblog
年上の者から
年下の者へ使えるものを
もらうと「お下がり」という。

とすれば、
年下の者から
年上の者へ使えるものを
もらうと「お上がり」というのか?

私は、こどもから、使えるものを
ちゃっかり頂戴すると
「お上がり」ということにしている。

最近の「お上がり」
口紅の試供品。
ヘアートリートメントオイル。
ボディーミルク。
ボディーオイル。
某高級コスメのファンデーション。
マニキュア。

みんな、少量だけれども、
自分では買わない商品が多かったので
(若い娘向きといったほうが正しいかも?)
割りとうれしい。
使い心地がいいと
「今度、これを買おうかな?」と思う。

フィットネスできているカットソー。
とても、重宝している。
ただし、これらをきて、
学校にいってはいけないらしい。
(みるに耐えないということで)
その辺にある傘。

****

うちの子ども達がいっていた幼稚園から
中学は、上履きである。
上履きは、いわゆるバレーシューズ。
あるとき、あるお母さんの上履きをみたら、
バレーシューズだった。
子供の足が、大きくなってお母さんのサイズになり、
それを越える時期がくる。
「そのお上がりは、いかがなものか・・・・」
と思ったことがある。
同じバレーシューズでも、自分用に
新しいものを履いたお母さんを見かけたこともある。

私も、学校のバレーシューズは、上履きに最適だと
思っていたのだが、この靴は、どうみてもお母さんの
年齢には合わない。
やはり、やめておこう・・。
と思った経験がある。

****

子供に搾取され続けた「お下がり」の時期は
「お上がり」の時期にきたのである。
世の中のお母さんたち、
子供たちから、若さと流行を
ちょっとだけでも、もらいましょう!
でも、一応、鏡をよ~くみて
考えよう。


忙しい土曜日

2008年09月20日 | Weblog
台風一過の今日の空は、
とても綺麗だ。

しかし、昨夜、我が家では、雷の光や
音が、私を驚かせた・・。
「この大雨、台風じゃないの!?」
空にむかって、突っ込みたくなった。

今日は、トリプル・ブッキング!
というほどでもないが、
本来なら、英会話を休んで
アロマ・セラピーの講座にでる予定だったが、
台風のため、本日、休講のお知らせがきていたので
楽しいインストラクターの
エアロビクスにいった。

夏休みに、このクラスにはいったら、
音楽と指導が面白かったので、
できたら、いきたいな~と思っていたのだ。

この土曜日は、アロマで、リラックスのはずが、
いろんな音楽で、とりあえず、動いてみた。
やはり、足腰が、弱っているのを自覚した・・・。
老化は、足腰かららしいが、
足腰が弱っても、口と手は、動きそうな私は
どうすればいいのだろう?


夕方の活気

2008年09月18日 | Weblog
夕方、4時半に
駅前のスーパーに車で買い物に
いった。

今日は、セールの日なのだが、
私は、あまりそれを気にしないで
行った。
(少しは気にしていた)

すると、夕方のスーパーは
活気があった!

あたりまえだ・・・・。

帰りの道路では、
路上駐車の車をよけた。
邪魔だと一瞬、思った。
車の字から、老人施設の
送迎者だとわかった。

そうか、お年寄りが、帰宅する時間なのだ。
スーパーに行く前には、幼稚園バスに
すれ違った。

幼稚園バスをみると、
「ああ、うちもこんな時間にバスを
迎えにいった」と懐かしかった。
老人のディケアのバスは、私には
未体験のバスなので、気にもしていなかったのに、
今日、目についたのは、出かける直前
お姑さんと同居している友人とメールで
話をしていたからだろうか?

話が、もどるが、平日の夕方、4時~5時、
かつて、私は活気を感じる時間をすごしていた。

私の実家は、商店街に近くて、
夕方の特売の呼び込みの声が
聞こえるからである。
その威勢がいい声を聞くと
ワクワクした。

今は、静かな夕方だから、
ワクワクしない。
主婦には忙しい時間になるのだから
あせるいやな気持ちだけなのだ。

私一人が、これから、家事がまっている
いやな時間帯。

夕方の周りの活気はいいものだ。
「らっしゃい~!!らっしゃい~!!」の
声で元気になった日は遠い。
今日の私は、かえってすぐ、いろんなことを
しないといけないので、音楽だけは、
ノリのいいサザンの曲をガンガン、かけてかえってみた。

私が住む街は、売り込みの声は
聞こえない。
でも、夕方は、路上もスーパーも
活気があったのだなあ・・・。
急いでイライラすることと
活気があることは、別のこと。

商店街の威勢のいい声、
家で流せないかしら?
と思う。
いい環境の音だったな・・。




主婦って?

2008年09月16日 | Weblog
私は、主婦である。

家事は得意でない!

自慢にならないが、本当だから
仕方ない。

私の周りは、ほとんど「仕事」をしているらしい。
現金を稼げる「仕事」である。

たいていのママ友がいう。
「働かなくていいんだったら、
それに越したことないわよ。
うちは、働かないとやっていけないもの・・。」
うちだって、お金がいるので
裕福だとおもってはいない。

私は、働くのが嫌いである。

でも、今、「仕事」をしていないか?
と自問すれば、
「仕事していないわけじゃないじゃない?」と
いいたくなる。

私と会った人が
「Poncoさんは、なにをしているんですか?」と
尋ねる。
「主婦です。」
「本当?」
「本当です。
堅気の主婦ですよ!」といったことがある。

また、ある人は
「Poncoさんは、いろんなことをしているね~」と
いう。
本当に、最近の私は、いろんなことをしている。
でも、一銭の現金にならない。
遊んでばかりもいない。

今日も、「私って、なにやっているんだか・・」と
思うことをしていたりする。
私の仕事は、誰かの役にたっているか?
私の仕事は、評価されているか?

主婦がする仕事は、あまり、評価されない。
特に、一番、仕事の対象である家族から
過小評価され、くさる事が多い。

「普通の主婦から○○に転身」なんていうコピーが
つくとき、
「主婦」=「無能」みたいなニュアンスを感じてしまう。

職業をもたなくて、現金を稼がない私を
憐れむような言い方をされるといやになる。

私が、好きでもない家事をいやいやしているのに、
家族が、誰もほめてくれないから、みじめになるときも
ある。

でも、私は、私のことを嫌いにならないことにした。
自分で褒めてあげないと、尊厳がなくなり、
人間性がなくなってしまうから。
自分のことを認めてあげないと
自分でなくなるから。

自分のことを嫌いになったら、
それでおしまい・・・。
だけど、褒めてほしいのは
いくつになっても、人間の本能だと思う。
結構、やせ我慢(痩せていないけれども)
しているような痛々しい私です。
(本当かな?(~_~;))








パン・ディナー

2008年09月15日 | Weblog
パン・ディナーをしたときの
写真。

パンは、自然酵母をつかった
トントン・ビゴのもの。
サラダのトッピングは
生ハム・スモークサーモン・
ビーンズ・黒オリーブ。
グレープフルーツの酸味が
サーモンにあう。
ハーブは、ローズマリーを散らした。

このとき、たくさんのことを
Kちゃんから、学んだ。

ローズマリーは、きついので
刻んで使う。
グレープフルーツのきり方。
パンの切り方。
我が家のパン切りナイフが
切れないので、プロよりクレームが・・。
以来、私は、包丁できっている。

それから、Kちゃんに選んでもらったワイン。
それほど高いものでないが、美味しい白ワイン。
私は、ワインは選べないなあ・・。

大きなワイングラスを出して、
「かんぱ~い!!」をしたら、
私の頭では、チ~ン!!
といい音がするはずだったのに、
綺麗な音がでなくて、
一同、ずっこけた・・・。

テーブルセンターを出したら、
「こんなものを持っていたか!」と
笑われた。
「持っていたよ!」
こういうものは好きだが、
普段の食卓は、ずさんなのだ・・・。
私とドーシェルとトントン・ビゴのコラボ
ということで、私一人、ご満悦だった。




天女のポーズ

2008年09月14日 | Weblog
今日は、ヨガにいった。

ヨガには「飛天」というポーズがある。

床の上で、
だんだん、天女の形になるのである。
その格好をしている私の脳裏には、
平等院・鳳凰堂の壁面の天女さまたちが
浮かぶ。

雲に乗って空を飛ぶ、天女さまである。
ときどき、このポーズをする先生がいたので、
それで、羽衣なんて言葉がでてきたのかな?
と思いながら、目を閉じ、ひたすら、天女に
なりきって、体側を伸ばして、いい気持ちになる。
(この姿は、決して、みてはいけません・・・)

そのあと、お月見用の
お饅頭を買いにいったのだが、
日曜日なので、屋上駐車場のいり口で、列を
なして並んでいる。
今日は、たまたま、列に並んだ。
空車待ちの列が、もう、引き戻せない場所まで
きたとき、車で聴いていたFMラジオが
「今日は、曇って、残念ながらお月見は無理なようです」
と伝える。
「ええ~!」と思ったが、こうなったら
仕方ないので、待って兎さんの和菓子を
買った。
私の予定では、、美しい月にお供えして、
いただくつもりだったが、月が雲に隠れている間に
すでに、2個、家族が、食べてしまった・・・・。(~_~;)



祝儀・不祝儀

2008年09月13日 | Weblog
母が、
「私は、家族葬でいい」という。

私の実家は、父が家業と仏壇を
継いだので、なにかとお付き合いが
多い家だった。
冠婚葬祭は、全部、父母が、仕切ったような
ものだった。

最近は、家族だけで、こじんまりする
お葬式も多い。

私は、母にいった。
「死んでから、人に集ってもらっても
自分は、わからないし、楽しくないから
『生前葬』したら、どう?」

即座に、怒られた!

しかし、私は、自分の葬式に誰がきてくれるのか?
わからないから、気になって死ねないかもしれない。
(冗談ですよ!)

だから、生前葬というのは、
明るく、楽しく、にぎやかなことが好きな人には
いいことじゃないか?と思う。

私の祖母は、喜寿のお祝いを親戚一堂で
温泉にいってしてもらった。
その翌年、亡くなった。
親たちは
「祝い負けした」といって、悔やむようなことを
いったものだ。
だから、私は、親たちの長寿のお祝いを派手に
したことがない。
気持ちばかりの、プレゼントをしただけである。

でも、考えようによっては、祖母には、とても
よかったと思い始めた。

祖母の子ども達、孫たちは、温泉に集ったのだ。

父は、喜寿のお祝いに一年、足りなかった。
ああ、残念だった。

15日は敬老の日。
母と姑にプレゼントを贈って、
お礼の電話がきた。
例年は、子供の名前でしているのだが、
今年は忙しくて、子供の貯金から集金できなかったので
私がした。
今年のプレゼントは、えらく好評だった。

母たちのうれしそうな声を聞いて
お祝いできるときは、ささやかでも、しておくものだと
思った。
「目出度い」という言葉だけでも
愛でたい!


掃除するいいわけ

2008年09月12日 | Weblog
私には、霊感があると思っていない。
幽霊が見えるのは、
とても怖いので、欲しいとも
思わない!

ずいぶん前のことである。

霊能力があるという人の
所に、いくことがあった。
私は、
「本当かなあ?
胡散くさいなあ・・・・。」と思った。

その人は、集った人たちの前で
話をしていた。

私をみるなり、
「うっ!」と顔をしかめた。
「そのブローチをはずしなさい!」
私は、家にあった、ピエロのブローチを
していた。
「あなた、どうですか?」と
彼は、他の女性に尋ねた。
彼女も、私のほうをみて、
「うっ!」と顔をしかめた。
「いやです。」
彼女も、そういう能力があるという。

ピエロのブローチは、家に帰ると
即刻、処分された。

それ以来、私は、ピエロを身につけることはない。
ピエロが悪いのでなくて、なにかいけない気が
あったという。

そういうことがあったといって、その団体に入ることもないし、
熱心な信者になることもない。
たまたま、そういう経験をしただけのことである。
しかし、人が「良くないよ」といってくれたことは
聞いておくに越したことはないと思う。
あえて、逆らうほど、へそ曲がりでもないし、
勇気もない。

さて、私は、さっき、
「うっ!」と顔をしかめる連続であった。
子供の部屋を掃除したのだが、
「ここは、砂地獄ですかぁ~?」
(スポーツ小僧の部屋は、砂が、じゃりじゃり)
「ここは、貞子の部屋ですかぁ~?」
(女や猫の毛がたくさん、あって、怪談みたい)

と、突っ込みを入れながら、掃除機をかけ、
布団を干した。
ああ、今日は、カンカン照りだ・・。
暑い・・。汗、ダラダラ・・・。
すごい 有酸素運動をしているみたいだ!


片付けが下手な親に似て、
みんな、片付けない。
でも、普段は、放っておく。
自分で、気づかないとダメだから。
で、私が気力があるときは
掃除するときがあるのだが、
「勝手に部屋にはいらないで!」と
すごい抗議がくるので、私は言い放つ。
「悪い気が、充満していたから!」
そういうと、いつも、
ピエロをいやだ!
といった人は、本当に悪い気に当てれたのかなあ?
と、思い出す。

掃除したあとは、気持ちいいに違いない。

でも、掃除している私は時々、悪い気に
まけて、中途半端に、逃げ出すときがある。
といっておこう。
これは、霊感があるのとは、ちょっと違うかな?(笑)
単に、整理が下手なので、いやになるだけだ。



女3代の字

2008年09月11日 | Weblog
朝、えらそうなことを
いって出かけた娘が、先ほど、
私の前で、書類を書いていた。

下書きをしてから、清書するのだが、
その字をみて、またまた、
ガ~ン!!ときた。

「なんて、汚い・・・。
それに、小さい字・・・。」

上の娘の書類の字も
汚いので、驚いたことがある。

娘たちには、6歳の6月から
お習字を習わせた。
そして、彼女たちは、書写展に
出してもらい、
昨年は、カナダで、中国人に
「字が上手だ!」と驚かれたという。

なのに、書類の字が、とても汚い・・・・・。

最近の子供は、硬筆をあまりしないので
仕方ないのだろうか?

さて、私の母は、私のはがきの字をみて
「私は、字が汚くて、恥ずかしいわ・・。
こういうのは、生まれもったものだろうな~」といった。
私は、あんぐり、あいた口がふさがらない思いであった。

幼稚園にはいったばかりの私を
厳しいお習字の先生のところにつれていったのは
母である。
正座も、何回も書かされる硬筆も、どんなに
いやだったか!

小学校低学年のときの書初めは、鉛筆だこが
できるほど、たくさん、練習させられた。

コンプレックスめいたことをいう母に、
最近、いつも言う。
「だったら、練習すれば?」

残念ながら、私は、お習字が苦痛だったので、
書道家にもならず、今は、汚い字を書いている。
でも、子供の字をみると、
日本の字の将来は、どうなるのかな?
と、心配になる。
だから、最近、高校の書道クラブが、パフォーマンス系に
なって、盛んなのは、いいことだと思う。
でも、底辺が、狭くなったことは確かだ。

私は、ピアノが苦手だったから、コンプレックスをもっている。
娘たちには、ピアノを弾けるようになってほしい、
とがんばったので、字が、イマイチになってしまった。
自分で気がついて、字を上手になりたい、と
思うことを願おう。
(ただし、もう、お月謝は、出したくない!)