Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

ローバの休日

2008年11月13日 | Weblog
亡くなったおばちゃん、
うちの母、うちの姑
うちの仲人さんは、
子供の母親友達である。

今でいう、いわゆる「ママ友」である。
そのお付き合いが、ずっとあるのだ。

おばちゃんが、入院し、仲人さんの
おじさんも入院し、うちの母と姑は
二つの病院のはしごをしていた。

あるとき、うちの母は、この弟さんの
バイクの後ろに乗せてもらったらしい。
もう、70歳を過ぎている・・。

私にばれたあとは、
私に叱られたのは、いうまでもない。


おばちゃんのお参りをすませ、弟さんと
立ち話をしていた。
すると、こんな話をきいた。
弟さんは、うちの母だけ、二人乗りをしたのでは、
えこひいきをしたとひがまれてはいけないので
姑にも、「バイクに乗る?」と聞いたそうだ・・・。

亡くなったおばちゃんと同じ年で80歳を越えた姑は、二つ返事で
承知し、バイクの二人乗りを楽しみながら
病院へお見舞いにいったそうだ。

初耳である!

私は「とんだ、『ローマの休日』になったね・・。」というと
彼は
「これが、ほんまの『ローバの休日』フフフ・・・・」
と笑った。
そのユーモアと笑う横顔が、おばちゃんにそっくりで
ああ、ここにおばちゃんはいるんだ!
と思った。

それにしても・・・・・・・・。(-_-;)

ちなみに、周りの車が、恐がってよけたので
ゆっくり、安全運転できたそうだ。

あのときのままなのに・・・・

2008年11月13日 | Weblog
先月、亡くなった友人の
お母様のお参りにいってきた。

友人の弟さんが店をつぎ、
1人でがんばっている。

急に伺ったので、弟さんは「仕事があるから・・。」と
仏前に案内されたあとは、出て行った。
写真のおばちゃんに向かうことになった。

花が好きだったおばちゃんが、紫陽花に手を
かけて、女優さんのように微笑んでいる。
いい写真だ。
この部屋も、私が初めてきたのは、小学校3年のとき。
確かこの部屋で、中学のお正月に着物で写真をとった・・。

ま新しい祭壇の後ろを、ひょいっとみると。
あった。
私の写真の後ろに写っている大きな樹の根を
置物にしたもの。
大変、大きいものである。

あのときのままだ・・・・。

部屋は古くなり、暗くなり
おばちゃんはいなくなった。

恐かったのだが、
だんだん、恐怖はなくなり、おばちゃんとの
最後の語らいとなった。
1人で、ゆっくり泣けたので
やっと、亡くなったことを
うけいれたと思う。


会いにいく、というプレゼント

2008年11月12日 | Weblog
先月、大阪でいつも担当してもらっている
美容師さんから おはがきをもらった。

赤ちゃんができたので12月で
退職する、ということだった。

おめでとう!という気持ち。
彼女のカットが好きだから、これから、
困ったな。という気持ち。

そして、なにより、わざわざ、遠くの私に
はがきで知らせてくれたこと。
ちょっと、感激だった。
今度、大阪にかえったとき
いったら、しらないうちにやめていても当たり前だ。

そのはがきがきてから、私は、髪をきりたくても
なんとか、ごまかし、すごした。
12月までに帰る機会があれば、絶対に行こう、
と思ったから。

はがきの返事も、確実にいけるわけでないから
なかなか、書けなかったが、なんとか書いた。

そして、大阪に帰って最終日、
私は、朝から、たくさんの用事があったのだが、
その店の前を通ったので、顔をだしてみた。
彼女の出勤まで30分だったが
待てなくて、あとでくることにした。

そのあと、いろんな用事をすませて、
最後に美容院にいってやっとこさ、
少しおなかが大きくなった彼女にあった。

全然、変わっていなくて、
妊婦服もきていない。

「男の子か女の子かわからないから
一応、黄色にいたけれども
ママの感じが、女の子っぽいから
ピンクのカードにしたわ!」

「ああ、そうなんや~」て。
「まだ、なにも準備していないんです」

わざわざ、私がきたこともすごく、喜んでくれた。
明日だったら、おやすみだったそうだ。
彼女なら、きっと可愛い赤ちゃんが生まれて
可愛いママになることだろう。

できたら、そのうち、美容師さんに復帰してほしいな!
とは、思っているが、まずは、無事に出産して
ママになることが先決だ。

美容院の待ち時間に
亡くなったおばさんのお参りにいって
ぼろぼろ、泣いたので
化粧が、禿げ禿げだったが、
「最後がおめでたい話で終って、よかったよ~。」
と、私は、笑った。



プレゼント

2008年11月12日 | Weblog
大阪で高校時代の同窓会があり
帰阪していた。

今回も、私は、人知れぬプレゼントを
たくさん、用意した。

まず、手のお手入れを始めた。
握手したとき、やわらかい手でいたいから。

もともと、「この手は家事をしていないでしょう!」と
いわれるくらい、手が荒れるのが嫌いだから、
クリームをまめにぬるが、夜も手袋をした。
主婦だから、まともに用事をしたら、あっという間に
荒れるのは、当たり前だ。

何人かと握手した。
わかってもらえたかな?
「わからない」という直メールがきて
がっくり・・。

香りは、ハグして、わかるもの。
昨年、ライブハウスで、友人たちと
盛り上がり、ハグハグしたら
「Poncoっていい匂いがする~」っていってもらって
なんか、うれしかった。女性ですよ。
ああ、わかってもらえたな。
いい匂いは、相手を幸せな顔にしていた。

そんな、わかりにくいプレゼントのほかに
ちゃんと目にみえる贈り物もあった。

月曜日、私は、阪急にいき、
上の階から、お香、ベビースタイ(よだれかけ)ロールケーキと
順番に、走って買った。

お香は、先月亡くなったおばさんのお参りにいきたかった。
仏壇用は、自分がきらいなので
京都のお香やさんのこぶりなもの。

次にベビー用品売り場にいくと
うきうきしてきた。
あかちゃんのものはみているだけでいい。
スタイがいいと決めていたが、
ちょっと時間がかかった。
だって、みていて楽しいから。

そして、デパ地下にいき、
珍しい素材のロールケーキを見つけたので
それを買った。

お香はともかく、スタイもケーキもメッセージカードをつけた。
デパートは、用意してくれているから、便利だ。
(自分も手帳にいつも、一筆メモははいっているが)

ケーキは、病院にもっていくので
本来なら、お見舞いなのだが、
患者さんは、実は、もう、なくなっている状態。
生命維持装置なので、
心臓は動いている。
ご家族は、大変なのだ。
そこのお嬢さんは、私の幼馴染で
11月11日がお誕生日だということを
昔々からしっていた。
でも、普段、誕生日をお祝いしたことはない。

だからこそ、がんばっている彼女に
お誕生日のお祝いとして
プレゼントしたかった。

あとで、お礼のお電話をいだたいたが、
「お誕生日をしっていてくれたなんて・・。」って。
「知っていますよ。毎年、わかったいたよ~」って。

どうしてだか、人の誕生日を覚えている。


Four Days( マジソン郡の橋の原題)

2008年11月12日 | Weblog
5日間の旅からかえってきた。
昨日は、グットタイミングなことに
テレビで「マジソン郡の橋」をしていたので
1人で、集中してみた。

メリル・ストリープ演じるフランチェスカが
家族の物音や、愛想のない食卓風景に失望
するシーン・・・。

私も、画面の前で、
「しっ!」と家族にいったが、
うちの家族も私がみているものに
まったく、興味を示さず、
いろんな物音をたてていた。
テレビの画面のうちと外で、
二人の「フランチェスカ」は、失望して
やりきれない思いで顔をしかめていたのである。


「これをみたほうがいいよ!
このお母さん、いやになっちゃって、
恋にはしるんだよ!
家族に嫌気がしているんだよ!」と
私は、一応、少し声をだしたりしそうになったが
どうも、みてくれそうにないので
邪魔されないことを優先して黙ってしまった。

さてさて、私の好きなシーン。
橋で、やさしい紳士のロバートが
野の花をつみ
「女性への感謝は、花束にきまっているだろ」と
渡す。
すると、フランチェスカは、「それ毒草よ」という。
びっくりして、がっくりと、花をおとす彼。
彼をからかったことに満足して初めて笑う。
そのときから、彼女は、笑い出し、
どんどん、綺麗になっていくのだ。

男をからかって、ひっかかってくれて、
その様子が、おかしくて愛おしくて・・・・。

だいたい、からかうことが大好きな私としては
たまらないシーンである。
こういう男の人は、なんて、可愛いのだろう!

この映画は、1995年作だ。
当時、やはり、私は青かった。
今みたら、もっといろんな観方があり、
ヒロインに共感できることが
多くて・・・。
最後は、涙涙・・・・・・?
ずいぶん、熟してきたかな?

どうして、ああいうドレスなのか?
どうして、駆け落ちしないのか?
どうして、恋に落ちてしまったのか?

いろんなことが、わが身のように
思えて、
ヒロインの気持ちに感情移入していった。

もう、ヒロインの年齢を越えてしまったかもしれない。

それで、残った最大の謎。

たった4日間で、生涯の恋ができるだろうか?
ということ。

ちょうど4・5日、主婦ではなく、すごしてきたところだった。

う~ん・・。どうかな?

残念ながら、そこまで恋におちる機会は
普通はないだろう。
家庭まで捨てることは
考えられない。

私の現実は、そんなものである。
しかし、彼女の切ない気持ちと涙。
切ない気持ちはつらいけれども
なくなると女として情けない。

切ない気持ち。
涙。
走り出してしまうこと。

こういう気持ち、もっていたいな・・・と思う。
つらいけれども。


マジソン郡の橋

2008年11月07日 | Weblog
「マジソン郡の橋」が話題になったとき
私の周りでは
「あんな映画、きらい!」
と批難する声が多かった。
誠実な夫や子供たちがいるのに
主人公が、4日間だけの
恋を一生、大事にもって死ぬ。

私は、ビデオでみたのだったかな????

私も、「これは、ご主人が可哀想!」と
批判的であった。

しかし、あの映画は、名作であると思う。

どうしてか?というと
私の普段の生活の中に
映画の一場面がしょっちゅうでてくるからだ。
そんなにも、印象深い場面がある。

冒頭、家族が、物音を立てる。
みんな、悪気はないし、
単なる生活音である。
ドアーをパタン!としめたり、
コップをパシッ!とおく。

そのたびに、ヒロインは、顔をしかめるのだ。

たぶん「それはいやだから、やめてね」と
何回、いったことだろう。
しまいに、いうのさえ、いやになって、
ただ、顔をしかめる。
ああ、うんざり・・・。

そんな場面が、すごく、印象にのこっている。
わからない人には、わからない。
そんな、細かいことをいっていたら、
人生、いきていけないよ!
と、ご親切にお説教されるのが
せきの山だ。

家族が旅にでかけ、静かにくつろいでいるとき、
偶然、道を尋ねられた人は、丁寧にものをおいたり
静かにドアーを閉める人だった。

それだけで、だんだん、ひかれて行く。
(クリント・イーストウッドは、私の好みではないが)

ああ、あの映画が注目されたときは
私は、まだまだ、青かった!

倫理で縛ることができない感情。

そのあとのストーリーは、よくはないだろうが、
映画としては、いい映画だったのじゃないかな?

今、みたら、絶対に、家族に八つ当たりするので
みないけれども・・・。

家族も、私の物音が、どうもうるさいらしい・・・。

マジソン郡の橋の反対バージョン、
あったかしら?




出かける前

2008年11月07日 | Weblog
私のエネルギーは
ウルトラマンみたいに
3分で切れる。

ああ・・。いやだ・・。
や~めたっ!
と、中途半端でも
やめてしまう。

そして、「やる気」の神様が
おりてくるのを待つ。

そんな状態なので
普段は、気ままに暮らしているが、
スケジュールが決まっているのに
いろんな邪魔が入ると
イライラしてくる。

続けざまの家族のシャワーの音。
猫が、「ごはん 頂戴!頂戴!」する、前足の音。

うあっ・・・。
泥水の中を歩いてみるみたい。
前に進まない。
やる気の神様が降りてこない。

それで、やっと、みんな出かけて
出かける準備を始めたら・・・。

「あれがない!これがない!」

どうして、出かける前に、ないことに気がつき、
それをほったらかしにできないのかな?

またまた、余計なことをいっぱいしてしまった。

でも、終わり・・。
心の中で「ぽた~ん!」と水滴の音がしたら、
やめることにした。

ええい、あとは野となれ山となれ~。
し~らない・・・・。

アイドリング・ストップ

2008年11月06日 | Weblog
バスが信号で止まると
アイドリング・ストップのため
エンジンが止まる。

瞬間、静寂が訪れる。
私は、この静けさが苦手だ。

し~んとしてしまう。

往くバスの車中では
うるさいくらいおばさんたちの
おしゃべりが盛りあがっていた。

還りのバスでは、みな、知り合いに
あわなったのか?
私語をしている人はいない。

信号で、バスが止まると
静かになるのが、
まるで、なにかが死んだかのように
なにもかもが、いきなりとまってしまうのだ。

私は、この静けさが恐い。
近頃、移動の車の中でも
ラジオや音楽をきいているのが
あたりまえ。
電車の中でも音楽をきいたり、
携帯をいじると、メールをしたり読んだりして
誰かと話をしている。

音がない世界は、色がないようで、
誰もが、冷たく温度もない。

たかだか、数分のことなのに、
「はやく、動き出さないかなあ・・・」
といつも思ってしまうのだ。

Beatles - Let It Be

2008年11月05日 | Weblog
Beatles - Let It Be



最近の私のテーマソングに
なっている。
この歌を教えてくれた人の
テーマソングでもある。

いろいろと考えて、悩んで
暗闇になったとき
ただ、「Let it be」
あるがまま・・。
受け止めよう・・・。

それは、流されることではなく、
柔軟な心でいること。

そんなことを教えてくれた。

私は、しんみりしたときカラオケで
歌う。
すっかり、定番ソングになった。

再会

2008年11月04日 | Weblog
この数日、
躁鬱をくりかえし。
また、これからの
数日、躁鬱をくりかえすことに
なりそうだ。

感激とか、もう、ない人生に
突入したと思っていた。

それが、感激としかいいようのない
一本の電話を受けた。

30年ぶりの友人の合格報告だった。

封印していた日記を開けてみたら
30年前に、一浪のあと、本人からの合格報告は
確かに受けていた。
しかし、その人は、それにあきたらず、
もっと高みを目指して、私たち
仲間の前から、姿を消した。

音信不通になったのは
私だけだったかもしれない。
他の友人たちからは、噂ではきいた。
でも、それまでの、付き合いからしたら、
姿を消した、という感がある。

風の噂で、どこにいるとか、
なにをしている、とか、聞いてはいたが、
それはもう、私には、関係ない人だった。

学生時代の一時期、本当に気があって、
いい時間をすごした人だったので、
連絡してこないことに
私は、悲しみと怒りの両方を味わい、
ついには、自然に心を封印していた。

あれから30年経った。

合格報告を今まで
私にできなかった経緯を初めて聞いた。

時間が、あまりにもかかりすぎ、
私の人生とタイミングが合わず、
人にとめられたことも知った。

ああ・・。
そうだったのか・・・。

「おめでとうございます。」と
私は、こたえた。

こんなに遅くなったし、
こんな私なのに、
報告してくれて、本当に
ありがとうございます。
心から、感謝していています。

って、電話をきったあと、うれし涙が
でてきた。

ああ、いきていてよかったな。

私は、憎んだ「受験」というもの。
たかが受験。されど受験。

受験戦争が私から、うばっていった
ものは、たくさんあった。

私は、その戦争に生き残ったんだ・・・。
負けたとおもっていた。
でも、生き残ったんだ・・・・・。
と思った。
勝ったとは、思えないが、
生き残ったんだ・・・・。

お互いに同窓会での再会を
楽しみにしている状態になったが、
さてさて、私が、わかるであろうか?

なにしろ、ズタボロになって、
また、年齢なりにがんばって、
また、ズタボロになって・・・。
の繰り返しの、中年のおばさんに
なっている。
でも、きっと笑い出してしまうから
見つけてくれると思う。