
音楽の理解が全くなかったことは前回書きました。
中学3年生となり、高校受験の準備に入っていった
公立高校の試験科目は
私たちの時代は主要5科目の他保険体育、音楽等、8科目が受験の科目となっていたと思う
職員室での山田は音楽で公立高校無理と密かに囁かれていた。
音楽は別としてそれなりに勉強はやっていた
親の希望は三菱の技術学校へと
この技術学校は公立高校の試験より難しくはあったが主要五科目の受験で良かった
技術学校は勉強しながら給料がもらえた
私の心は最後までどちらに行くか希望は定まらなかった
その頃の公立高校は受験科目のうち、40点以下の科目があれば合格はなかった
公立高校の受験、多少は勉強してはいたが、音楽がどうしても20~30点くらいしか
取れないだろうとの、職員室でのうわさであった
案の定音楽はサッパリで諦めていた
公立高校の合格発表と技術学校の同日日であった
親は心の中では技術学校にと思っていたことは私は十分に理解していた
音楽がダメだったので私も技術学校しかないかと思ってはいましたが
どう言う訳か、両方に合格してしまった。
その日の夜、両親から思わぬ嬉しい言葉を貰った
お前の好きな方に行って良いと言うのです
我が家の経済的環境を考えれば、技術学校に行くべきであったろうと
合格発表の数日後、中学校の担任の先生から呼び出しがかかった
担任の先生の所へ行くと、公立高校の私の成績を見せて
山田やっぱり君は本当は不合格であったよ実際はと受験科目の成績を見ると
音楽38点、これは規則で言えば不合格、ところが奇跡が起こったのです
他の科目はほとんど100点にほぼ近かった。このことが合格できた理由だと
担任の先生が言ってくれた、やはり痛く心配をしてくれていたのだと、感謝と嬉しさが
天に登った
人生がチョッとしたことで運が上を向いたり下をみたり、右や左に曲がったりすることを
痛く感じた。今日もここらでこの先また後日。
A little learning is dangerouus thing.
