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とうとのひとり言:TKN心理サロンブログ

カウンセラーを目指す方々や
悩みを抱えた方々に「悩みのカラクリの謎解き」です。

【心理カウンセラー資格・悩みの謎解き:一歩進んで二歩下がる「動く」】

2023-10-30 11:59:00 | 日記
ともかく動く

先ず、自分自身が動かない限り、何も変わりません。決して、誰かが「私」を動かしてはくれません。「歯車」でいている限り、自分のやりたいことはできません。歯車は自分の力では動くことはできません。結果、動かす動力のある歯車に動かされるだけです。ただ、人の力を当てにして動かされているのに、自分で動いている気になっているだけです。他人の力で人生を歩んでも幸せですか?他人に支配された人生で良いのですか?やりたいことがあるならば、変わりたいのならば、自らが動くしかないのです。



三歩進んで二歩下がる

三歩進んで二歩下がっても、結果として一歩進んでいるのだから、OKではないか。一歩ずつ確実に進んで、積み重ねていく事も大事だ。その通りです。下がってしまった自分に目を向けて、後悔したり、ダメ出しするより、結果として、一歩進んだ事に、目を向けようとする事はとても大切な事です。とても前向きに考えられます。物事を悪く観るより、前向きに物事を捉えるこの習慣が大切です。

一歩進んで二歩下がる

「一歩進んで二歩下がる」これはどうでしょう?一般的に観れば結果として、一歩下がってしまっているので、ダメですよね。しかし、ものは捉えようです。確かに一歩下がってはいます。でも一歩、歩けた自分自身に注目をして欲しいのです。間違いなく一歩、歩けたのです。グチュグチュ言い訳をして、人のせいにして歩かない人たちより、はるかに立派です。歩きもせずに失敗だけを怖がって、何もしない人達より!一度、歩けたのだから次も歩けます。歩き続ける(動き続ける)から、変化も生まれます。歩かない人には変化は生まれません。その人に、新たに生まれ変われる、自分らしく生きれるチャンスが生まれたのです。水は、流れているからこそ、清流でいられます。止まれば澱み、腐っていきます。私達も一緒です。歩き(動き)続けるからこそ変化が生まれます。変化を怖がり、歩みを止めると、自分らしく生きる事はできません。他人に合わせた、人生しか出来なくなります。(他人本位の人生)先ず、一歩を踏み出しましょう!そしてその一歩に自信を持ちましょう。   「最初のだ~い 一歩」子供の頃の、あの言葉を思い出して!モーター付きのは歯車になりましょう!







【心理カウンセラー資格・悩みの謎解き:あなたの夢は?夢は悩みから救う】

2023-10-23 10:00:00 | 日記
あなたの夢は?

私達は「夢・希望」を持てば、結構悩みから解放されるものです。只、この夢が中々見つからない。夢を旨く答えられますか?でも旨く答えられないのも現実です。夢は誰もが抱くもでもありますが、掴められないのも事実。「あなたの夢は何ですか?」の質問に対し、たまにこんな答えが返ってきます。「(人に関わる仕事)相手の人に、安心して信頼されるような○○○に成る事が私の夢です。」と、答える人が居られます。確かにそれでも良いのですが、何か変な事に気づきませんか?「相手の人に安心、信頼される」と言う事に。



誰の夢

それって、「相手の人に安心、信頼され無ければ」ダメと言う事ですね。これって、他人の評価にによって自分の夢が左右されていると言う事です。もっと単純に言えば、「他の人が、あなたは幸せね、と言えば幸せで。不幸せと言えば不幸せになる。」のと同じ事です。幸せ・不幸せは、他の人が決めるのではありません。自分自身がどう思えるかで、決まります。他の人に、感謝される事により自分の夢に満足していると、相手の評価で夢が達成したり、潰れたりします。これは本当の夢ではありません。

私の夢


他の人が、どんな評価を下そうが「私の夢はこれだ!」「この夢のためならば、どんな苦労もいとわない。」「例え嫌な仕事でも、夢の実現の為にお金も必要なのだから、頑張るよ。」「嫌われるのが怖く、変な対人関係を続け無駄な時間を費やすぐらいなら、夢の為に時間と使う。」と言えるぐらい、自分の考え方で「夢」を実現する事が大切です。妄想は叶いません。万が一叶う時はそれは、犯罪です。夢が叶わないのは、自分の夢ではないからです。人から与えられた夢、人から評価されたい夢、だからです。「他人の夢」は到達しても、空しいだけです。夢は必ず叶います。その人の等身大の夢ならば!諦めた時に夢は破れます。時には、失敗もあります。でも、その人が夢を諦めない限り、その人は「夢へのチャレンジャー」です。私達の前には、道はありません。あなたの後ろには道があります。あなたが歩いてきた道(人生)があります。もし、目の前に道があれば、それは他人が歩いた道です。他人の道を歩いてゴールしても他人の人生、ゴールです。他人の人生だからこそ、夢は叶いません。あなたの前には、無限の可能性があります。その可能性に向かって一歩一歩、歩み出しませんか?「本当の自分の夢」を信じて!








【心理カウンセラー資格・悩みの謎解き:対人トラブル】

2023-10-16 10:00:00 | 日記
素直にしたら

人は、素直なようで素直でないものです。カウンセリングをしていると、よく感じます。素直に伝えれば分かる事を、あえて遠まわしに伝えます。ただ本人は悪気が無いだけに厄介です。時にはひねくれて言ったり、相手を怒らせるような言い方をしたりしています。まるで、自分の事を嫌って貰いたいのか思うぐらいの行為です。元々、人は素直なのですよ。でも素直なだけに対人関係を壊すことになってしまいます。素直故に傷ついた結果、素直になることを恐れています。今までに傷つきすぎて、もう傷つきたくないが為に心に壁を作り、相手の反応を伺っています。悲しい性です。



嫌われたいの

以前のことですが、自分のほうに向いて欲しいが為に、相手を傷つけるような事がありました。あの手この手を使って、わざと怒らせて噛み付かせるように仕向けてきます。例えば、見られたら何か一言、言われるような物をあえて見えるところに、置いておいたりします。こちらがそれに気づいてあえてそのままにしておくと、更に、行動はエスカレートします。時には、他の人が、対人関係で問題が起きると、その時にまるで正義の使者の如く出てきます。相手の人を責め、悪者にして、「私はこんなに正しい事をしているのよ。素晴らしいでしょ。私のことを良い人として認めなさい。だって私はあなたの為にしてあげたのよ」と。これは自分の溜まっている思いを、ちょうどいい事件に託けて、ぶつけているだけです。

心理ゲーム

心理ゲームの「トラブルメーカー・仲間割れ」をしているだけです。ただ本人は罪の意識がありません。だから始末が悪いのです。本人の意識の中では「私は正義の味方で、正しい事をしただけ。」の思いだけなのです。自分自身がトラブルを撒き散らしている事に気づいていません。結果、みんなから嫌わます。「私を責めるのは、お門違いよ。私を悪者にするなんて、なんてあなたは悪い人なの。」と言い出し、さらに悪化する事をします。あまりにも傷つき、裏切られ続けてきた結果、自分を守るための手段なのです。人を信じて、裏切られ続けた悲しい行為です。素直に自分の気持ちを聴き、素直に表現をしましょう。






【【心理カウンセラー資格・悩みの謎解き:感じたことを感覚で捉える】

2023-10-09 11:59:00 | 日記
感じる

今、私共のカウンセラーの卵が苦しんでいます。感情を共感することに!これはとても難しいことです。「我が身に起きた如く感じろ」「思いやりの心を持て」など、言葉で表現するのは誰でもできます。心の声を感じることは、また表現することは至難の業です。「悲しい」事に間違いはありませんが、「悲しみ」の中には、色々な思いが込められています。漢字で表現するだけでも「悲しい」「悲しい」「愛しい」総て悲しいを表現しています。


悲しい

傷つけられて悲しい。裏切られて悲しい。見捨てられて悲しい。怒られて悲しい。嫌われて悲しい・・・等々!一杯悲しい思いがあります。これは「悲しい」の一言で括ってしまってもいいのでしょうか?カウンセリンを行なっている初めの頃は、クライエントの気持ちを汲んで「悲しいですね」と共感する事により、クライエントは気持ちを分かって貰えたとの思いから、救われた気持ちになります。でも、カウンセリングが進む内に、クライエントもカウンセラーも気持ちの上ですれ違っている感がしてくるときがあります。カウンセラーが表面上の共感をしているから起きる現象です。確かに言葉では「悲しい」です。でも、心の奥底に潜んでいる「悲しい」を共感できないとカウンセリングは悪化していきます。「悲しい」を生み出している思いを共感できないとダメなのです。

悲しみを生み出したもの

悲しみを生み出したものは何か?幼いときに何かの原因で「悲しみ」を体験しました。その悲しみの体験があるからこそ、今起きたトラブルで「悲しい」が表現出来るのです。幼いときに体験していなければ「悲しい」は存在しません。過去の体験が今の体験に繋がるのです。幼いときに分かって貰えなかった悲しみの思いを共感できるかどうかが、カウンセリングの大切なところなのです。色にも色々あります。「赤」にも色々あります。深紅の赤から、ピンクやオレンジに近い赤もあります。それとひとつの「赤」と纏めるわけにはできません。心の感じ方も十人十色です。







心理カウンセラー資格・悩みの謎解き:相手への接し方

2023-10-02 11:00:00 | 日記
すみません

皆さんは人から何か言われたら、すぐに「すみません」と謝りませんか?確かに、ミスをしたり、間違った事をした時に謝る事は、当たり前の事ですしかし、何も悪い事をしていない時にも謝っていませんか?「口癖」のように。ですから、少し注意を受けるだけで、時には指示をされただけで「すみません」と謝ります。たとえ何も悪い事をしていなくても。謝れば、許される、もうこれ以上嫌われることは無い=安心と結びつきます。



逃避

特に「すみません」という人達は、改善をしません。普段私たちは、怒られる事=悪い事=悪い子=愛されない子の図式を持っています。幼い時にイタズラをして親から怒られたとき、子供から見れば親は恐怖の存在でしかありません。この恐怖から逃れるために「すみません」で終らせたいのです。特に、親御さんは説教の後に必ず「ごめんなさいは!」と言わせます。ごめんなさいと言えば親御さんは赦してくれて、優しい親御さんに戻るので、恐怖から解放されるために「すみません」を言います。この怒られる=悪い子が刷り込まれていますからです。大人になってからも、この恐怖から逃れるために「すみません」で逃避しようとしているだけです、結果、問題解決はしません。

ありがとう

何も悪い事をしていない以上、謝る必要はありません。注意を受けたり、指示を受けた時は「ありがとう」でいいのです。ミスをクリヤーして欲しい。しっかりやって貰いたい。成長して欲しいと。色々な思いで注意や指示を出します。見込みがあるからです。見込みの無い人には怒ったり、注意をしたり、指示など出しません。無駄なのですから。「見込みがある、これから頑張れるんだ、だから注意をしてくれたんだ。」だから、感謝の気持ちで「ありがとう」なのです。時には、本当に怒っている人もいます。でもその時にも「ありがとう」といえば、相手も拍子抜けのようで「あっ~。分かればいいんだ。これからも頑張れよ。」といって、ちゃんちゃんと、終わります。これからは、何も悪い事をしてない限り「すみません」はやめましょう。「ありがとう」に変えましょう。癖になるよう