詩人の鮎川信夫の『最晩期の斎藤茂吉』(鶴見俊輔編『老いの生きかた』収録)で、1953年に満70歳で没した茂吉の遺作歌集『つきかげ』を知りました。
〈わが色欲いまだ微かに残るころ渋谷の駅にさしかかりけり〉
〈朝飯(あさいひ)をすまししのちに臥処(ふしど)にてまた眠りけりものも言わずに〉
〈をさなごがやうやく物をいふときに言(こと)の吉言(よごと)をおのづから言ふ〉
〈いつしかも日がしづみゆきうつせみのわれもおのづからきはまるらしも〉
編者の鶴見俊輔いわく、「私たちの年代のものにとっては、・・・ 短歌は戦争万歳をさけぶ表現様式で、茂吉もその様式を活用した。しかし敗戦をすぎると、このようにみずからの老いをうたう作品をのこし、それらは私たちにうったえる力をもっている。」
間も無く76回目の敗戦記念日。我れも早や茂吉の享年を過ぎ、今更「オリンピック万歳」などとはしゃぐ気はさらさらなく、真夏の運動会で騒がしいテレビの音は消して、四半世紀前に手にした復刻版『赤光』を復習いながら、秋風がCOVID-19を吹き飛ばすまで、この夏も無事に乗り切ります。
〈赤光(しゃくくわう)のなかに浮びて棺(くわん)ひとつ行き遙(はる)けかり野は涯(はて)ならん〉
【蛇足】wikiによれば、鮎川信夫は1986年にスーパーマリオブラザーズに興じている最中に脳出血で逝ったとか、享年66歳。