2025年1月12日
病院生活は、2カ月だった。私にとって怒濤の毎日だった、リハビリも私生活も。当初の、病院の計画書では、年を越した1月中旬に退院の予定だった。何としても年内に家に戻らねばと決意をした。家には、後期高齢者の老妻しか居ない。子供たちはいるが、それぞれの家族がいて、それぞれは遠くに住んでいる。病院もむやみに長期滞在を望んではいないようだった。家での生活が出来るようであれば退院を勧めていた。それに伴って年中無休の1日
3時間のリハビリを実施している。検査事項に沿ってリハビリも実施している。担当者も割り当てられ、主にその療法士がリハビリを行い、10日単位で進捗状況を確認し合い、月に一度、主治医とも話し合う。そんな状況だから、頑張れば早期の退院も可能だ。
早期退院を目指してリハビリが始まった。1日に4回のリハビリが行なわれる。年中無休で、それに加えて、私の場合、火・木‣土に入浴タイムもあり、忙しさも充分だった。リハビリも動かない所を動かすのだから大変だったし、大いに疲れた。終わってからベッドに直行したこともあった。また、次のリハビリが10分後だったりも何度もあった。
私は、嚥下力が弱く食事も大変だった。流動食がメインだった。しかし、このままでは早期退院は出来ない。早く普通食に戻さなければ退院は不可能だ。三段階の検査をパスしなければならない。言語療法士が検査を担当している。前の病院で一度検査をして一段階の上の流動食にする予定だったが転院のため据え置かれていた。それで担当の療法士に訴えた。
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