とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

祖母の思い出

2006-07-28 19:38:09 | 家族
本日、相方は職場の飲み会で不在・・・。
こんな時は私は夕飯に決まってインスタントラーメンを作る。
自分だけだし、という理由もあるが、実はあることに挑戦しているのだ。
それは「祖母の味」
何でインスタントラーメン?と不思議に思う方もいるかと思いますが。
私は子供の頃から大のラーメン好き。
おやつに祖母にラーメンを作ってもらうことも少なくなかった・・・。
その祖母が作ってくれたラーメンの味がいまだに忘れられなくて自分で作ってみるのだけれど、たかがインスタントラーメンなのに全く祖母の味が出ない・・・。
にゅうめんもそうだ・・・。
そうめんを煮込んだものね。これも祖母の味が出ない・・・。
特別に具が入ってるわけでもなく、ラーメンにしてもにゅうめんにしても手が込んでいるわけでもないのに、あの味が出せない・・・。
祖母くらいの年齢にならないと無理なのか・・・?
ちなみに祖母のラーメンの味は・・・麺にスープの色が染みるほど煮込んであるのにのびてなく、味も濃くなく・・・。
これを自分でやると、麺はのびるし、味もしょっぱくなっちゃう・・・。
なんとも難しい・・・。
私は何せ祖父母が大好きでした。
物心ついた時から「父」という存在は無く、9歳の時に母は再婚するのですが、その後も波乱万丈で2ヶ月おきに父が暴れ、その度母と家を出たり・・・。
そんな私達の心のより所でした・・・。
今でも悔やんでも悔やみきれない事は、祖父母の面倒をみてあげられなかった事。
祖父が最初に脳梗塞になり、片麻痺で介護が必要となり、祖母が介護していたのですが、オーバーワークになり心不全・・・。
本日退院した義父と同じ病気だったのです。
祖母が亡くなり、相次いで祖父も亡くなり・・・。
今の私と同じくらいの年で両親を亡くした母のお葬式での泣きようは、後にも先にもあんな母を見ることは多分無いと思います。
当の私は、祖母が亡くなった時もすぐには泣けず、亡くなる直前に母達が声を掛けたのに反応して微笑んでいたので、その笑った顔が「死」を実感させなかったのか、家に帰ってきた祖母を見ても涙は出ませんでした・・・。
そして、時が過ぎた今頃思い出しては涙があふれるのは「墓参りに来い」と言ってるのでしょうか?
祖父が亡くなった時もすぐには泣けず、お葬式の時、長男の叔父さんが喪主挨拶の言葉を聞いて、ふと仕事をしているときの祖父の姿を思い出し、従妹と泣いた事を覚えています・・・。
ただ、小さい時から「おじいちゃんもおばあちゃんもいつか死ぬんだ」と思っていたことは事実で、何故か「帰ったらお花があがっていたらどうしよう」何て思っていた事も事実・・・。
いつか来るその日の為に3歳くらいのときから覚悟を決めていたのかもしれません。
もう少し私が大人だったら祖父母の介護もできたし、祖母に至っては、病院が違ってたらもっと生きていたかもしれないと悔やまれてなりません。
まあ、その頃と私がこの仕事をするようになった頃とは治療方法も異なっていたのかもしれませんが・・・。
でも、そんな後の話でもないですからね。
せめて、祖父母が病気になるのがもう少し遅かったら・・・。
と悔やんだところでどうしようもないのですが、一人で切なくなっています・・・。
せめて夢に出てきてお話が出来ればいいのですが、出てきたときって自分では不思議に思ってないので、何だか屁でも無い話しで終っちゃうような気がします・・・。
幽霊でもいいんですけどね・・・。
会いたい人には会えないものですね・・・。
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