ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

先生のひとこと

2006-10-24 | 砂時計
昨日の砂時計を書いていて思い出したこと。

その学校には一年しかいなかった私だが、そのときの担任のことは鮮明に覚えている。
学校の担任の記憶、といえばとってもいい先生か、そうではないか、のどちらかだと思う。
そのときの担任は、後者のほうだった。
オールドミス(ふるい言い回しだ・・)で、もう、残り何年かで定年という風な先生だった。
4年生でそのクラスに転入したとき、私は若い優しい女の先生のほうがいいのに、と内心思っていたが、私の母は、その先生がベテランだということでたいそうご機嫌だった。

5月になり、家庭訪問があった。
今なら考えられないことだけれど、先生を家にあげ、お茶とお菓子を出していた。
どっかりと座り込んだその先生は、話し好きな母とあれこれ世間話を始めた。
そんな中で、その先生の口から思いもしない言葉を聞かされる。
「この子がいま仲良くしてるNさんは、あんまりええことないですよ。お母さん。」と。
そのころ、私は新しい学校で仲良くなったNさんに夢中だった。
Nさんには歳の離れたお兄さんや、お姉さんがいて、家は喫茶店を営んでいた。
ちょっと大人びた彼女は、私の知らないことをいっぱい知っていて、知らないものをいっぱい持っていた。
そんな彼女の魔力に、私は強く惹きつけられていた。

だが、その担任や、うちの母などは頭が古いタイプの典型だったので、喫茶店=水商売=子どもの家庭環境としてよろしくないというような公式を持っていたようだった。
あれこれ、Nさんの家庭環境や、成績、性格のことなどを母にぺらぺら喋り、どうせ仲良くさせるのだったら、と別の二人の名前を出していた。
二人とも成績の良い、いわゆる良家の子女だったのだ。
ばかなうちの母は、そんなとんでもない担任の一言を真に受け、先生が帰るなり
「もう、あしたからはなるべくNさんとつきあってはいけません。」と言い渡した。
天邪鬼な私が、そんな母の戯言を聞くわけはない。
そういう告げ口めいたことをする担任がますます嫌いになり、また、そういう目で子どもたちをみているのか、と反対にこっちが担任を査定するようになってしまった。
たまたま、先生おすすめのおんなのこ達とは、お稽古ごとの教室が一緒だったこともあり(今から考えれば、それは母の謀略だったのかも)、おのずと仲良くはなったけれど、それと平行してNさんともずっと付き合っていた。

そんな問題発言をする担任である。
今以上に、公立小学校には貧富の差が歴然と存在し、そんな家庭環境を把握している担任は個人情報をほしいままに、自分のお気に入りには優しく、成績が芳しくなく、小汚い児童には平気で侮蔑的な言葉を投げつけていた。
自分がベテランであることを背景に、女王のように独裁的に君臨していた。
この現代にあっては、考えられないような先生である。

子ども達が、そんな先生の言葉を受け、全く影響がなかったとは考えられない。
私の知らないところでいじめも存在したのかもしれない。
だが、きっと今ほど陰湿ではなく、またそれぞれのこどもの中に、これ以上はやったらダメ、というハードルがあったのだと思う。
いつのころからか、そういうハードルがどんどん下がり、追い詰められる子どもが増えてきている。

話はそれてしまったが、あのおばあちゃん先生のひとことは、40年近く経った今も私の中に残っている。
直接、先生から刃を向けられたこどもの心の傷ははかりしれない。


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